フィレンツェ芸術巡り③【パラティーナ美術館・ボーボリ庭園】
イタリア・フィレンツェの旅行記です。
「ピッティ宮殿」へと向かい、「パラティーナ美術館」を堪能しています。今回はその続編で絵画編です。
パラティーナ美術館
入館して最初のうちは、あまり有名な作品が見当たりません。まず「アレゴリーの間」です。
1610〜11年頃の作品です。アルテミジア・ジェンティレスキは女流画家のはしりです。父のオラツィオも著名な画家です。父娘二代でカラバッジョに大きな影響を受けています。この作品はジェンティレスキがローマ時代に描いた初期作品だそうです。
「プロメテウスの間」以降、有名作品が増えていきます。
1450年頃の作品です。円形の絵を「トンド」といいます。リッピ唯一のトンド作品で、聖母のトンドは出産祝いとして贈られたことが多いとか。伝統的手法が取られており、1枚の絵に複数の時代が収められています。日本の絵巻物みたいな感じか。中央はもちろん聖母子ですが、背景は聖アンナ(マリアの母)の時代の話だとか。
物憂げな聖母の表情は、弟子のボッティチェリに受け継がれてますね。作者のリッピは修道士でありながら、女にだらしない生臭坊主で、いったん発情すると仕事そっちのけで女の尻を追っかけ回す習性があったそうです。パトロンであったメディチ家の老コジモもほとほと困り果て、ある時リッピを仕事場に監禁したことがあったそうです。するとリッピは発狂して暴れ出したり、果ては窓から脱出したり、さしもの老コジモもどうすることも出来なかったとか。
1485年の作品です。モデルのシモネッタ・ヴェスプッチはフィレンツェ一の美女。人妻でありながらロレンツォ豪華王の弟・ジュリアーノと恋人関係にあったといいます。シモネッタは美人薄命そのままに22歳で早逝します。フィレンツェ中が悲嘆にくれたとか。ロレンツォ豪華王はシモネッタの葬儀の後に、「彼女の美しい顔の上では死もまた美しい」と綴っています。
「ユリシーズの間」です。
1514年頃の作品です。パラティーナ美術館といえば、ラファエロの良質なコレクションが見もの。聖母子を中心に円を描く構図になっています。天使が「この人は尊い人だ」と言わんばかりに幼子を指差します。
1605年の作品です。レーニはバロックの時代にボローニャで活躍した画家です。ラファエロ的な古典主義様式に、当時の大流行であるカラヴァッジョ的明暗を加味している感じですかね。実はかなり好きな画家の一人です。
「ジュピター教育の間」です。
1608年の作品です。カラヴァッジョは画家としては不世出の天才ですが、人格的には粗暴な人物で、殺人まで起こしています。逮捕を恐れてナポリからマルタ島へと逃亡しますが、その逃亡時代にも数々の名作を残しています。この作品もその一つです。
1620年の作品です。旧約聖書におけるユディットやサロメなど首切り美女は、ちょっと怖いけど魅力的なテーマ。多くの画家が好んで取り上げるテーマです。アローリはユディットのモデルを恋人に、そして首を切られる役を自分自身で演じたと言われます。
「イリアスの間」です。
1507年頃の作品です。フィレンツェ滞在の終わり頃に作成された、ラファエロ肖像画の傑作です。フィレンツェ修行時代にレオナルド・ダ・ヴィンチから多くのものを吸収したことがみてとれますね。
1613〜1618年頃の作品です。アルテミジアが生きた17世紀は「女流画家」が認められる環境ではなかった上に、彼女自身もレイプ被害にあったりしました。さらに裁判の調べの過程で、不快な思いを散々させられたといいます。今で言うところのセカンド・レイプでしょうか。
そういう苦悩が、彼女が時折見せる暴力的な作風に影響してるかもしれません。この作品は「絵による復讐」と言われました。侍女と協力して、ホロフェルネスを討ちとるユディットはどこかたくましく、カッコイイ。この時代の画家は、みんなカラヴァッジョの影響を逃れられない感じです。
1528〜1530年頃の作品です。ルネサンス盛期のフィレンツェの大家で、伝統的画風の美しい作品を多く残しています。
「サトゥルヌスの間」です。ラファエロの作品がたくさんあるので、人気のお部屋です。
チーロ・フェッリによる天井画です。
1513〜14年頃の作品です。ラファエロの中でも最も有名な作品なのではないでしょうか。そしてラファエロの唯一のトンドらしいですね。優しそうな聖母と、妙にぶよっとした幼児のキリストが愛情を感じさせる。
1506年頃の作品です。後にロレーヌ家のトスカーナ大公フェルディナント三世によって購入されました。大公はこの作品を愛し、常に手元に置いていたため、こう呼ばれるようになりました。背景の黒塗りは後年の加筆ではないかという説があります。
1506年の作品です。これは若い頃の作品ですね。と言ってもラファエロは37歳で早逝してるんだけど。イケメンかつ優しい性格で、誰からも愛されたそうです。ただし女性関係も派手で、頑張りすぎたため病気になって死んでしまったんだ!とジョルジョ・ヴァザーリは書き残しています。(ヴァザーリは芸術家だが著述家としても優秀で、「芸術家列伝」を著し、そのおかげで我々はルネサンスの天才たちの人となりや生涯を知ることができるのである)
ちなみにこれはウフィツィ美術館にあるはずなんですけどね?
美しい「聖母子像」を数多く残し、生前から高い評価を受けていた。そのことは彼が若干37歳の死後に、ローマのパンテオンに葬られたことからもわかる。
1510年頃の作品です。貴族の肖像画らしいですね。なるほど。この人は斜視っぽいんですが、それをうまく隠すために角度を付けてるんですね。
この部屋にあるはずのドーニ夫妻の肖像はありませんでした。どこか貸し出し中かな?と思ったら、このあと訪れたウフィツィ美術館にありました!多分「自画像」とトレード貸し出しでもしてたんですかね?
カラヴァッジョが殺人を犯した後の、1608〜1609年の逃亡時代の作品です。モデルはマルタ騎士団員の人です。カラヴァッジョは逃亡時代、さまざまな場所でさまざまな人に助けられています。まるで高野長英のように。恩義を返す意味で描いた作品を各所に残しながら。私が来た時はこの部屋にありましたが、「ヴィーナスの間」にある時もあるようです。
「ジュピターの間」です。
1516年頃の作品です。ラファエロの肖像画としては最高傑作と言えるのではないでしょうか。「モナリザ」から学びつつ、自分の味も出してる感じ。
モデルは恋人と言われるフォルナリーナ(パン屋の娘)。「小椅子の聖母」も同一人物という説もあり。それ以外でも「システィーナの聖母」など、さまざまな作品で使われている可能性が指摘されているモデルです。
「マルスの間」です。
1638年の作品です。ルーベンスの活躍した時代は17世紀初頭で、ヨーロッパ史上最も凄惨な宗教戦争(30年戦争)が行われていた時代です。その寓意画ですね。
ヴィーナスが必死に軍神マルスを止めようとしています。ルーベンス自身も、外交官として各国の和平に奔走しました。
1650〜1655年頃の作品です。バロック時代のスペインの大家。甘美な聖母子像の名手として知られます。
「アポロの間」です。
1535年ごろの作品です。元娼婦で、キリストの女信徒であったマグダラのマリアは、キリストの死の後に洞窟の中で苦しい修行と瞑想を行ったという話があるが、それをテーマとしているんですね。
胸に手を当て、敬虔さを表現しながらも、ブロンドの髪から覗く「裸体の官能美」が魅力的です。
1535年頃の作品です。別名「灰色の目の男」と呼ばれる、ティツィアーノの肖像画の傑作です。
1640年頃の作品です。毒蛇に身を噛ませ自死した美女のテーマを、レーニは好んで描いています。
「ヴィーナスの間」です。
1536年ごろの作品です。フィレンツェ で現在行われている復活祭では、女性たちはルネッサンスの頃のドレスを着て仮装するのですが、この絵を参考にして当時のドレスを再現しているそうです。胸が大きく開いたところがルネッサンス・ドレスの特徴とか。
ここがミュージアム・ショップです。
光の反射に苦しみましたが、ラファエロ、ティツィアーノなど巨匠の優雅な作品を楽しめました。
ボーボリ庭園
ピッティの裏手にある「ボーボリ庭園」をちらっと散策したいと思います。
バックドロップ笑
彫刻も大変素晴らしい。しかし庭園への入り口がわからないですね。(庭園はピッティの美術館と別料金となります)
あった。
いよいよ入場していきます。
ボーボリ庭園は広大な丘陵地(東京ドームとほぼ同じ面積)に広がる庭園です。ちょっとだけ散策して帰ります。
まずは円形劇場があります。
左右には6段の階段と彫刻群が対称をなします。
ここはもともとピッティ宮殿の採石場だったらしい。その跡地に劇場が1630〜1634年の間につくられたそうです。
中央にはエジプトのオベリスクが建っています。
もともとこの庭園はトスカーナ大公のコジモ一世妃・エレオノーナ・ディ・トレドの命により、1550年から造営が始まりました。
時々振り返ってみます。左右対称の人工美が、西洋人ならではの美的感覚ですよね。
さらに上へ。
ここは庭園の灌漑用の池らしいです。
彫像や噴水、洞窟などイタリア庭園の範となった庭園です。世界遺産にも登録されています。
さあ、さらに上へ。
右手に果実、左手に麦の穂を持ち、トスカーナ大公国の繁栄を祈願します。
振り返ってみるとフィレンツェ の美しい街並み!
もうちょっと上へ行くと陶磁器博物館があります。
博物館はちょっと覗いたけど写真は撮らなかったです。
高台だけに眺めはとてもいい。
深入りせずに降りて帰ろうと思います。庭園全体を散策すると、多分2時間くらいかかるみたいです。
遠くドゥオーモが見えます。
バッカス像がありました。これはレプリカで、オリジナルは庭園内のカフェハウスにあります。実はコジモ一世に仕えた小人がモデルです。当時の欧州宮廷には慰み者として小人が置かれることが多かったようですね。
帰ろうと思ったらヘンテコな洞窟がありました。なかなか帰らせてくれません。これはブオンタレンティの洞窟です。
なんとここがヴァザーリの回廊の終点なんですってね!
すごいデザイン。コジモ一世の息子のフェルディナント一世が、ベルナルド・ブオンタレンティに命じて設計させたそうです。
私が行った時は柵があって奥まで入れなかったけど、日に何回か無料入場できる時間帯があるらしいです。
奥で抱き合うのは神話のテーセウスとヘレネ。
その横をミケランジェロの奴隷像のレプリカが飾ります。
Ristorante Giglio Rosso
晩御飯はレストランでステーキ食べました。
フィレンツェのステーキは「ビステッカ(Tボーンステーキ)」と言われます。骨のそばをかぶりつくとうまいこと。