歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

フィレンツェ芸術巡り④【洗礼堂、ジョットの鐘楼、ドゥオーモ】

フィレンツェの中心地区であるドゥオーモ周辺を観光していきます。

 

 

 

サン・ジョバンニ洗礼堂

フィレンツェで最も古い聖堂建築(ロマネスク様式)と言われています。(11世紀から建築が始まり、12世紀半ばに完成。100年かかっている)

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白と緑の大理石で覆われ、実に厳正で合理的なプロポーションです。あのダンテが「わが麗しのサン・ジョバンニ」とたたえた美観を誇ります。

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外部が3層からつくられてるんですね。第1層は円柱と付け柱。第2層は半円アーチで3分割。

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第3層は3つの正方形の中にそれぞれ3つの長方形。屋根は八角形でつくられています。

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白と濃緑の二色の大理石によって、幾何学的な化粧貼りがなされています。

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ドゥオーモ方面の東扉は、彫刻家ギベルティによるもの。後にこの扉はミケランジェロにより「天国の扉」と名付けられることになります。

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ママ、このバッジを外しておくれ

もう使うことはないんだ

暗くなってきたよ もう何も見えない

天国への扉を叩いてる気分さ

(ボブ・ディラン「天国への扉」)

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人が少ない早めの時間帯だと、誰にも邪魔されず撮影できます。

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旧約聖書からの場面が描かれますが、現在の扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属美術館で見ることができます。

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ちなみにこのレプリカは日本人の寄付によってつくられたそうですね。

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洗礼堂の扉については、北扉作成の際にギベルティ対ブルネレスキのコンクールが行われ、ギベルティが勝利したという出来事がありました。この二人は生涯のライバルとなります。

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最も美しいとされる「アダムとエヴァの物語」のアダムの肋骨からエヴァが作られる場面。

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■ロレンツォ・ギベルティ
(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 〜1455年)は初期ルネサンスの彫刻家、金細工師。鋳造技術においては並ぶ者のない腕前を示し、その技量は今日においても賞賛されている。フィレンツェ随一の芸術家であり、彼の工房はドナテッロやウッチェロ、バルトロメオら優れた芸術家を輩出した。ライバルのブルネレスキとの、「洗礼堂門扉コンペ」「ドゥオーモのクーポラ造営」における名勝負数え歌は語り草になっている。

 

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扉の上の彫刻は「イエスの洗礼」(A・サンソヴィーノ、16世紀初頭)です。

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内部はやはり厳粛な雰囲気です。

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床は一面モザイク模様で覆われています。

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天井のクーポラは、金地のビザンチン風モザイク画で覆われています。

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13世紀のモザイク画「最後の審判」です。

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一部修復中でした。

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これは多分ドナテッロとミケロッツォによる「法王ヨハネ23世の墓」だと思います。

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この日は確か「世界女性デー」とかで、女性だけのデモ行進が見られました。

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デモというと、日本の場合は大抵左翼による動員だと思ってしまいがちだけど、こっちのデモは普段着で自然発生的な印象があります。

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ジョットの鐘楼

続いてジョットの鐘楼を上っていきたいと思います。

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高さ85メートル!階段で463段あります。果たしてこれを上りきれるか!

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ジョットの鐘楼は1334年(日本では建武の新政の年)に、画家ジョットが初期設計、工事は彫刻家のアンドレア・ピサーノによって建設が始められ、1359年にはほぼ完成しました。

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実はジョットの仕事は下層部の設計だけで、たいして関わってないそうです。でもジョットといえば西洋絵画史におけるビッグネームですから、自然と名前が残ったんでしょうね。

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この1辺も15メートルあるそうですね。

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レリーフなどの装飾もアンドレア・ピサーノの工房によって制作されました。

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三色の大理石によって造られた華やかなデザインの、ゴシック式タワーです。

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大理石は白がカッラーラ産、緑がプラート産、ピンクがシエナ産です。彩色でなく、元々の石の色なんですね。

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さあ、いよいよ入場していきます。

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ひたすら狭い階段を上っていきます。

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五層からなっていて、時折休憩して展望することができます。

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ドゥオーモのクーポラ見えました!

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サン・ジョバンニ洗礼堂を見下ろせます!

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ローマが舞台の映画「甘い生活」で、アニタ・エグバーグがマストロヤンニに「ジョットの鐘楼はどこ?」と尋ねる場面がありましたね。

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ヴェッキオ宮殿も見えますよ。

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さあ、まだまだ先は長い。

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ドゥオーモ、また見えました。ドゥオーモのクーポラも今回は上りませんでした。ジョットの鐘楼に上った方が、ドゥオーモが見れるからいいかなと。

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美しい街並みですねえ。

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さらに上へ。

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鐘楼だけに鐘も発見!これはかつて使われていたものだそうですね。今も12ほどの鐘が時を告げるために鳴り続けています。

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だいぶ近くに見えるようになった。サイゼリアで見た場面。

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クーポラに上ってる人たちが見えますね。

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この統一感ある景観は見事ですね。この朱色の瓦はヴァーミリオンの瓦と言います。まさにフィレンツェの象徴の色ですね。

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f:id:mejirorock:20211130231520j:plainまたさらに上へ。

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ドゥオーモのクーポラの建設は困難を極めました。これを設計したのはブルネレスキ。「サンジョバンニ洗礼堂門扉のコンクール」でギベルティに敗れたのち、ブルネレスキはローマで10年以上も修行しました。古代建築を研究し、忘れ去られていた建築技術を再発見しました。

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そして1418年に再びギベルティと、「クーポラ設計コンクール」で対決します。雪辱を誓ったブルネレスキでしたが、結局ギベルティと共同責任者として工事に入りました。

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しかし実際に工事が始まってみると、合理的で緻密なブルネレスキの独壇場でした。ブルネレスキはレンガ1枚1枚までチェックしたと言います。ギベルティは役に立たずクビにされてしまいました。

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最上部まで来ました。

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この丸屋根(クーポラ)の上のランタンと言われる部分も、ブルネレスキの設計です。(もっとも完成前に死去してしまいましたが)ブルネレスキこそドゥオーモの父と言えます。

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管理の兄ちゃんも暇そうです。ぼお〜っとしてりゃ給料もらえるんだから、働いてるふりくらいしろや笑

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さあ、後は降りていきます。

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この狭さですからね。すれ違う時は大変です。お互い譲り合わないとダメですね。

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ようやく下界に降りてきました。ショップは様々なものがありました。

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ドゥオーモの傘w いいね、そのアイディア。

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ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

さあ、次はドゥオーモこと「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」(花の聖母大聖堂)に入場していきます。まさに花の都・フィレンツェの象徴ともいうべき大聖堂です。

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ファサード(正面部分)を仰ぎます。このファサードが完成したのは19世紀だそうです。

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もともとドゥオーモは1296年にA.ディ・カンピオにより建設が始められ、1436年にブルネレスキによってクーポラが架けられました。そこから考えると、ファサード完成までに500年もかかっていることになります。サグラダ・ファミリアといい、西洋人の粘り強さはすごいですね。

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白と緑とピンクの大理石で装飾された見事な建築です。この3色もジョットの鐘楼と同じで、塗り分けたわけではありません。それぞれ白と緑とピンクの天然大理石を採掘してきたのですね。

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扉には聖母マリアの生涯が描かれているそうです。

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かなりの行列ができてます。ちなみに大聖堂に入るのは無料です。ただし宗教施設ですからドレスコードがありますね。露出の多い服の場合、入場を断られる場合があるので、夏場は注意です。

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この行列に並んでる時は、ビル風が吹き付けて辛かったです。

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いよいよ入場。

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さすが広大な空間です。収容人員3万人とも言われ、ローマやミラノと並ぶ大聖堂です。

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パウロ・ウッチェッロ「時計の文字盤」

入り口の上にはウッチェッロ作の時計の文字盤があります。

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並んだ騎馬画像が見えますね。

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パウロ・ウッチェッロ「傭兵隊長ジョン・ホークウッド」

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白い方はウッチェッロの「ジョン・ホークウッドの騎馬像」です。ウッチェッロという人は「遠近法」の研究にとりつかれた人で、現実の視点よりもいかに美しく見えるかを表現しようとしました。上の絵も騎馬を見る視点と、台座を見上げる視点が同時に設定されてますね。

 

アンドレア・デル・カスターニョ「傭兵隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノ」

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もう一つの騎馬像は、ウッチェロを参照して描かれたカスターニョの「ニッコロ・ダ・トレンティーノの騎馬像」です。

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D・ミケリーノ「『神曲』を持つダンテの肖像」

ダンテはフィレンツェが誇る大詩人です。また「神曲」はラテン語でなくトスカーナ方言で書かれたことによって、現代イタリア語の基礎となったと言われます。

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見上げるとクーポラ。内側にも見事な(正直よく見えないけど)フレスコ画が描かれます。高さは90メートル以上ありますからねえ。

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ヴァザーリらが描いた「最後の審判」ですね。

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主祭壇です。八角形の内陣になってますね。八って数字は、日本でも末広がりでいい意味だけど、キリスト教にとっても縁起のいい数字なんですってね。なんでも「7」が一つの周期らしい。まあそれは1週間が7日ということでわかる。8はそこに1をプラスしたことから「復活、再生」の意味があるらしいですね。

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B・ダ・マイアーノ「主祭壇・十字架像」

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サンタ・レパラータ教会遺構

この聖堂は地下にも見所があります。

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現在のドゥオーモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が出来る以前に、フィレンツェの大聖堂だったサンタ・レパラータ教会の遺構が残っています。

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5世紀頃のもので、ローマ時代のモザイク装飾を見ることができます。

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サンタ・レパラータ教会の祭壇です。

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地下にはクーポラ建設の立役者・ブルネレスキのお墓がひっそりとあります。

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ブルネレスキのお墓は、ショップの一角からちらっと見える感じだったな。

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フィリッポ・ブルネレスキ
(Filippo Brunelleschi, 1377〜1446)は、イタリアの金細工師、彫刻家、そしてルネサンス最大の建築家である。彫刻家としては宿敵ロレンツォ・ギベルティに遅れをとったが、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ建設によって絶大なる賞賛を得た。 遠近法の発明やオーダーの発見も、彼のものとされる。

 

ここがショップです。やっぱり赤いドーム(ドゥオーモ)がフィレンツェの象徴だけに、グッズも充実してるねえ。

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ドゥオーモの外では、何やらデモ部隊がいます。手前には警察の人たちかな。

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ちょうど国際女性デーだったようで、女性がいっぱい集まっています。

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それで軍隊がいるのかな、と思いましたが、これはいつも常駐してるみたいですね。テロ対策ということか。

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世界の首都で「軍人の姿を全く見かけない都市」は東京ぐらいなもんか。またも「日本の常識は世界の非常識」という言葉を思い知りました。

 

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