フィレンツェ芸術巡り⑤【シニョーリア広場、ヴェッキオ宮殿】
イタリア・フィレンツェの旅行記です。
Ristorante Lorenzo de' Medici
昼食してから午後の観光へと。
やっぱりパスタが定番です。
ジャガイモうまい。
スイーツ系も充実。こっちは朝からケーキ食いますからねえ。糖尿にならないんでしょうか?
欧州のミネラルウォーターは炭酸入りのものが多いようで慣れてないので、炭酸抜きをもらいました。ガス入りも慣れればうまいらしいんですけどね。炭酸抜きの水には「ベビーマーク」がついているようです。ガキ扱いか。
このあとはヴェッキオ宮殿へと向かいますが、その前にフィレンツェ名所を外観だけでも通っていきます。
ここは有名なオルサンミケーレ教会。元は小麦市場兼礼拝所だったとか。
ギベルティやベロッキオなど、名だたる彫刻家の彫像(レプリカ)が飾っています。
詩人ダンテの家を外観だけ見ていきます。
ここがダンテ生誕の地ですが、建物自体は1900年頃の再建だそうです。中はダンテ関連の博物館になっています。
地べたにダンテの顔が。
ダンテの胸像も。
広場が見えてきました。シニョーリア広場です。
そして巨大な全貌を表すのはヴェッキオ宮殿です。
ヴェッキオ宮殿は1299年から建設が始まりました。もともとフィレンツェ共和国の政庁舎として使用されていました。
一時、コジモ一世が住居として使用していたこともありました。
その後、コジモ一世が住居をピッティ宮殿に移したことで「ヴェッキオ宮殿」と呼ばれるようになりました。ヴェッキオには古い、という意味があります。
なんと現在も市庁舎の役割を一部担っているとか。
ヴェッキオ宮殿に入る前に、シニョーリア広場の彫刻群を見ていきたいと思います。
シニョーリア広場
1594年に建てられた像です。コジモ一世は1537年にフィレンツェ公、1569年には初代トスカーナ大公となり、それまで立場上は有力な富豪市民だったメディチ家を、名実ともにフィレンツェの支配者とした人物です。
コジモ一世は明敏な頭脳、冷酷な決断力を持ち、マキャベリ的絶対君主の資質を持っていました。内政ではメディチ家への権力集中、法制度の整備、産業振興などを進め、外交では神聖ローマ皇帝の警戒を掻い潜りながらトスカーナ各都市の領有化を進めました。
「広場の噴水」ですが、今は工事中のようでした。アンマナーティ「ネプチューン」だけは見えますが。
この噴水は1563〜1565年に造られました。もともとはバンディネッリに依頼された仕事だったそうですが、バンディネッリの死去に伴い、弟子であったアンマナーティに引き継がれたそうです。
コジモ一世は1562年、フィレンツェ海軍を創設しました。1571年にはオスマントルコとのレパント海戦に参戦して功績をあげています。この像にはフィレンツェの海軍力を示す政治的メッセージが込められていました。ただし「白い大男」と呼ばれ、市民の評判は良くなかったようです。
ヴェッキオ宮殿前のロッジア・ディ・ランツィです。ここはかつて外交式典などの政治の場だったそうです。
今は彫刻の傑作群がひしめきます。
ロッジアの左端はチェッリーニ「ペルセウス」です。ギリシャ神話の英雄ペルセウスが魔物のメデューサの首を討ち取るところ。にしても凄惨な作品ですね。
魔物とはいえ、女の首を掲げて身体を踏み潰しています。
この作品の依頼者はコジモ一世。コジモは冷酷非情な面を持ち合わせており、己の威厳を見せつける意図があったようです。
チェッリーニは1545年から1554年までかけて、大変な苦心をしてこの作品を完成させています。ブロンズの鋳造には何回も失敗しているそうです。
ちなみにこの台座もチェッリーニによるものですが、レプリカであり、オリジナルはバルジェロ美術館にあります。
コジモ一世はヴァザーリ、チェッリーニ、ブロンズィーノの3人を特に重用し、メディチ家の栄光と威厳をプロパガンダしていきました。
現在フィレンツェ の街並みを飾る、壮麗な建築、モニュメント、装飾はコジモ一世の時代に造られたものが多いのです。
ロッジアの右端はジャンボローニャのこの作品です。1579年から1583年にかけてつくられました。ローマ建国神話を題材としています。
アカデミア美術館に石膏版がありましたけど、こちらは大理石です。
この3体の絡み合いが躍動感ありますね。マニエリスム彫刻の傑作です。
これはコジモ一世の息子のフランチェスコ一世の発注だそうです。メディチ家の統治が安定したために、「ペルセウス」のような威圧的で政治的なテーマから、躍動的で自由なテーマに時代の要求が変化していったのかもしれません。
ジャンボローニャはその名前からボローニャ出身と思われがちですが、イタリア人ですらありません。フランドル人です。
フランチェスコ一世のお気に入りの彫刻家でした。
その隣もジャンボローニャです。1599年の作品です。
これは比較的新しく1865年につくられています。
ロッジアの奥には5体の女性像が立っています。
ヴェッキオ宮殿の入り口には、対の像がありますね。
もちろんレプリカで、本物はアカデミア美術館にあります。
もともとはこの政庁舎前の位置に置かれていたんですね。しかし暴動による損壊(実際に左腕が破壊されたことがある⇨ヴァザーリが修復)や、風雨による劣化を避けるため、1873年にアカデミアに移動しました。
「ダヴィデは青空の下に置かないと意味ないの!」と言ったミケランジェロの気持ちがわかりますね。
このレプリカは1910年から置かれているそうです。レプリカって言っても100年の歴史があるのはすごい。
1525〜1534年の作品です。
「ダヴィデ」が賞賛の嵐だったのに対して、こちらの作品は不評で「大きなジャガイモ袋」と揶揄されました。芋くさい、野暮ったいという印象だったんですかね。
バンディネッリはミケランジェロを勝手にライバル視して牙をむいた、とされます。バンディネッリは「狂人よりも不安定な頭脳の持ち主」と揶揄される、アブナイ人でした。
この作品を注文したのは初代フィレンツエ公・アレッサンドロ・デ・メディチでした。コジモ一世の前にもフィレンツェ の領主となった人がいたんですね。ただしアレッサンドロは粗暴な若者で人々から嫌われ、最後はあっさり暗殺されてしまいます。アレッサンドロの後継として連れてこられたのが、遠縁の17歳の若者・コジモ一世だったのです。
ヴェッキオ宮殿
「ヴェッキオ宮殿」へと突入していきます。高さは95メートル。
ピエトラ・フォルテという砂岩の切り石で積み上げられています。
入場していきます。
まずは「中庭」がありました。中庭までは入場券なしで入れます。
中央にはヴェッロキオ「イルカを抱くキューピット」(レプリカ)の噴水があります。
柱の装飾がきめ細かいですねえ。
これは1565年にトスカーナ大公となったメディチ家のフランチェスコ一世(コジモ一世とエレオノーラ・ディ・トレドとの子)が、オーストリア(ハプスブルク家)から妃を迎えるにあたって箔をつけるため?細やかな装飾を求めたものという理由があります。
息子フランチェスコ一世の結婚式は、コジモ一世治世における最大のイベントとして、壮大壮麗に挙行されました。
この中庭はミケロッツォが15世紀後半に設計しました。
中庭からちょっと外へ出てみると「ヴァザーリの回廊」が!このままウフィツィ美術館へと続いています。
ヴェッキオ宮殿には「秘密の間(秘密の通路)」と呼ばれる隠された部屋や通路がありますが、4ユーロで「秘密のツアー」に参加することができます。「秘密のツアー」で最初に見せてもらえるのは、13〜15世紀にフィレンツェの行政高官が着たという服の復元です。あのダンテも行政高官になっていた時期があったらしいから着ていたのかも。
さあ、いざ秘密のルームへ。
妖しさ満点です笑
ガイドの女性はスペイン人だそうです。
狭い通路を通り抜けてたどり着いたのは「フランチェスコ一世の書斎」でした。フランチェスコ一世とは、初代トスカーナ大公・コジモ一世とエレオノーラの子で、トスカーナ大公を世襲しています。装飾に埋め尽くされたこの部屋は、ヴァザーリによって設計されました。
コジモ一世の肖像です。
反対側にはお母さんのエレオノーラ。
小さいながらも、ギリシャ神話モチーフの絵が並んでいて、華やかな空間です。
フランチェスコ一世は親父のコジモ一世とは違って、陰鬱、自己中心的で、およそ統治者には向かない性格でした。怪しげな化学実験や錬金術に凝ったと言われます。
確かにどこか妖しい小部屋です。
絵の裏には、隠し戸棚・隠し扉などがあります。権力者はどこの国でも一緒ですね。
共和政時代はここで市民会議が開かれていたそうです。イタリアで一番大きい、長さ54m、幅23m、高さ18mの広間です。
天井画も1枚1枚すごいですよ。この天井装飾もコジモ一世の息子フランチェスコ一世の結婚式のために造られました。
制作はまたもヴァザーリの工房。しかもわずか2年で造り上げたのです。ヴァザーリの仕事の速さは、まさに「美術官僚」と呼ぶに相応しいものがあります。
中心の「コジモ一世の礼讃」ではコジモが「新しきアウグストゥス」として神格化されています。
「秘密のツアー」ではこの天井の、さらに屋根裏まで見せてくれます。
天井画の1枚1枚はなんと吊り下げてたんですね。
こんな仕組みだったとは。
模型を使って、ガイドさんが仕組みを説明してくれました。
五百人広間の左右には巨大なフレスコ壁画が見られます。これらはヴァザーリの工房によって制作されたものです。壁画も天井画も、ヴァザーリの工房によるもので埋め尽くされています。
が、もともとは右側をレオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギ・アーリの戦い」が、左側をミケランジェロ「カッシーネの戦い」が飾る予定でした。
1503〜1504年のメディチ家追放時のピエロ・ソデリーニ政権の時でした。このヴェッキオ宮を舞台に、ダ・ヴィンチとミケランジェロ、天才同士の世紀の対決が行われたのです。
この二人は20歳以上も年が離れていながらも、例の「ダヴィデ設置場所事件」で対立し、険悪な関係でしたから、この対決は空前の注目を集めました。しかし結局どちらも未完に終わってしまいました。
下に降りてじっくり見てみることにします。
こちらが左側の壁画「ピサとの戦い」。「ピサの戦い」は共和国時代に戦われ、14年もの長期戦となった苦しい戦いだったそうです。
こちら側をミケランジェロ「カッシーネの戦い」が飾る予定でした。ミケランジェロにライバル心を燃やすバンディネッリ(ジャガイモ袋の彫刻の人)によって、破壊されたなんて伝説もあるそうです。
こちらが右側の「シエナの戦い」。こちら側をレオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギ・アーリの戦い」が飾る予定でした。
この絵には小さく「CERCA TROVA(探してみなよ、きっと見つかるから)」という言葉が書かれているそうです。これはヴァザーリによるメッセージで、何かが隠されているんじゃないかと言われていました。近年の調査で、この右側の壁画が二重構造になっているということが判明しました。現在わかっているのはそこまでらしいんですが、もしかするとこの絵の下にレオナルドの未完の作品が眠っているんではないか?と世界の美術ファンのロマンをかき立てています。
14年もの苦戦となった共和国時代の「ピサの戦い」と比べて、コジモ一世時代の「シエナの戦い」は14カ月で勝利した会心の戦いでした。この対比は前者と比べて、コジモ自身の優位を誇示する政治的目的があると見られています。
ここがステージ。
ステージに上がってお偉いさん気分になってみました。彫刻もいっぱいありますね。
ミケランジェロ・ブオナローティ「勝利」
しれっとミケランジェロの「勝利」がありました。
1532〜1534年にかけてつくられた作品とされます。若者がおっさんを組み敷いていますね。「シエナの戦い」の壁画前に置かれていることから、トスカーナ大公のシエナに対する勝利を暗示しているのでは?と推測もできます。
ミケランジェロの反対側の壁画「ピサとの戦い」の前には、ジャンボローニャ「ピサを征服したフィレンツェ」のレプリカが飾られます。オリジナルはバルジェロ美術館にあります。
その他にも素晴らしい価値のある彫刻がゴロゴロあります。古代ローマ彫刻が4点、近年修復作業を終えて公開されています。
16世紀以降の修復がかなりなされているようです。ルネッサンス当時は、破損部分を修復して展示するという考えが主流でした。
これは「ヘラクレスの間」にある「聖母子と洗礼者ヨハネ」(作者未確定)のトンドです。
この作品は別名「UFOの聖母」と言われます。
確かに拡大してみると、聖母の右上空に未確認飛行物体がありますね。それを人が見上げてる。面白い。
これはレオナルド・ダ・ヴィンチ「アンギ・アーリの戦い」の模写です。無名画家によって描かれたそうです。
緑の間はコジモ一世の妃エレオノーラ・ディ・トレドの書斎として使われていたとか。この絵はボッティチェリの工房によるものだそうです。
天井装飾がすごいですね。ギルランダイオの手によるものだとか。
ここがエレオノーラの礼拝堂です。緑の間とつながっています。
アーニョロ・ブロンズィーノ「十字架降下(ピエタ)」
礼拝堂の天井画はブロンズィーノ「ライオンと聖ヒエロニムス」です。
ブロンズィーノは、ウフィツィ美術館にあるエレオノラの肖像も描いていますね。エレオノラのお気に入りの画家でした。
フィレンツェを舞台にしたミステリー映画「インフェルノ」では、重要な鍵を握る暗号が隠されている設定になってました。
メディチ家追放時代のピエロ・ソデリーニ時代につくられた礼拝堂だそうです。
共和国時代は総督の会議や法廷として使われていたとか。
天井装飾はすごい。
コジモ一世の命により、サルヴィアティ「マルコ・フーリオ・カミッロの物語」が描かれています。
当時の友好国フランス王家のシンボルである百合が、あちこちにぎっしりとひしめいています。
天井にも百合の装飾が見えますね。
ドナテッロ「ユーディットとホロフェルヌス」
百合の間にはすごい彫刻が何気に置かれています。
ユーディットがホロフェルネスの首を、今まさに落とさんとする瞬間を描いています。ミケランジェロのダヴィデが来る前に、ヴェッキオ宮殿入り口に置かれていた作品がこれ。最初はメディチ邸の中庭にあったそうです。
最後は「地図の間」。壁に53枚の地図が飾られています。
イギリスはかなり正確ですね。
イタリアはちょっと短足かな?
GIAPANとあるのが日本でしょうか。
マルコ・ポーロの「東方見聞録」で紹介されて以来、黄金の国ジパングの名はヨーロッパで知られていたようです。
ヴェッキオ宮殿に別れを告げます。
フィレンツェの治安と街並み
さて日が落ちるまで少し時間があるので、ぶらり街歩きしていきます。馬車にも乗れます。日本の観光地の人力車みたいなもんですかね。
フィレンツェは治安は良く、危ないと感じる場面はありませんでした。ただ「お恵みを〜」みたいに弱々しく近づいてきたジプシー風のおばあちゃんは見かけました。でも無視しましたけどね。一見弱々しい感じでしたが、離れた場所ではけっこうキビキビしてたので、同情を買う演技だったんでしょう。
後はサンロレンツォ教会の前で、若い女の子が「エクスキューズミー!」と話しかけて来ました。これもジプシーの女の子のスリ。日本人に話しかける目的は一つ。とにかく無視が一番いい。たとえ日本語で話しかけられても振り返らない。(咄嗟だと反応しちゃうんですけどね)
またフィレンツェでは路上で(チョークアートのパフォーマンス)でなく、普通の紙に地べたで絵を描いてるのがいます。間違ってその絵を踏んじゃうと、弁償しろ!とか難癖つけてくるのがいるようです。見かけたら踏まないことです。
土産物屋さんも様々です。さすが観光大国。
彫刻もダヴィデの小さいやつをお土産で買っちゃいました。これ全部欲しかった。
ボッティチェリのエプロン笑
ダヴィデのエプロン笑
Gelateria Carabe
イタリアに来たらジェラート!アカデミア美術館そばのジェラート屋さんに入ってみました。
「フィレンツェで一番美味しいジェラート屋さん」だとか。こういうのは言ったもん勝ちですね。
味は好きなものを2種類組み合わせて選びます。
長椅子があって、そこで食べていけるようになっています。