ローマ芸術巡り③【ヴァチカン美術館】
イタリア・ローマの旅行記です。
今日はいよいよヴァチカン市国を観光していきます。72時間パスをゲット。これで地下鉄バスは乗り放題です。
大分治安が良くなったとはいえ、ローマではスリには気をつけましょう。混んだ電車は基本スルーして、空いてる電車に乗るとよいそうです。乗ったら車両のつなぎ目あたりにいるか、または座るかが安全です。カバンは斜めがけで、体の前にまわしてファスナーのところを押さえると安心ですね。
スリにあった人の体験談を読んでみると、「ファスナーのないバッグで満員電車に乗った」とか「バッグを脇に置いて、一瞬、目を離した」などの甘い人、スキを見せた人がほとんど。ヨーロッパでは、アフリカや南米のように強盗・強奪などの凶悪犯罪は少ないですが、スリは実に多い。でも所詮はコソ泥なので、するべき対策をきちんとしてれば、基本は大丈夫のはずなのです。
Ottaviano駅
地下鉄最寄り駅のOttaviano駅に到着しました。
ヴァチカンの外壁が見えてきました。ここから中が世界最小ヴァチカン市国です。
すごく並んでます!
この行列を避けるためにも予約は必須ですね。予定が決まり次第、早めにHPで予約しないと思うような時間では取れないかも。
ヴァチカン美術館
ヴァチカン美術館を見学していきます!
ちなみにここは出口です。
出口の彫刻は左の人はミケランジェロ、真ん中の交差した鍵はローマ教皇庁の紋章、右の人はラファエロです。
入り口は↓こちらです。
すごい混雑ぶり。とにかく団体さんが世界中から押し寄せているのです。
ヴァチカン美術館(博物館)と言っても、25もの美術館(博物館)があり、その総称です。これが予約の紙と引き換えにもらえるチケット。ヴァチカンの象徴「アテネの学堂」です。
日本語のオーディオ・ガイドも借りられるようです。あまり大したものでないという噂ですが。
階段を上がって、右に行くと「ピナコテーカ」。左に行くと「キアラモンティ美術館」や「ピオ・クレメンティーノ美術館」があります。
全長7Kmの広大さの上に複雑な動線。これを移動していくために、看板表示が役に立ちます。
絵画館(ピナコテーカ)
ピナコテーカに入るとすぐにあるのが、「ミケランジェロのピエタ像のレプリカ」です。
本物はサン・ピエトロ大聖堂にありますけど、ここまで接近できないですから。
聖母の衣服にミケランジェロのサインが刻まれています。
当時はミケランジェロも20代。まだ知名度もそれ程では無く、「ピエタ」にサインをしておかないと他の奴に手柄を奪われる危険を感じていました。
ニセピエタのすぐそばにショップもあります。
ヴァチカン土産も買いました。来日もしたローマ教皇。
さあ、作品を見ていきます。
ジョットとその弟子による「ステファネスキの祭壇画」
1330年代に描かれています。枢機卿カエターニ・ステファネスキの依頼で制作されたものです。
こちら側には聖人ペテロの磔刑が描かれます。
こちら側では聖パウロの斬首。
フィリッポ・リッピ「聖母の戴冠と天使、聖人達、寄進者」
メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使、ケルビム、使徒たちの頭部」
1480年頃の作品です。ローマの聖アポストリ教会が再建される際、後陣の祭壇壁画として描かれていたフレスコ画の断片です。
使徒や天使たちが描かれます。
しかし欠落部分が多く、現在のものは全体の10%にも満たないものであるとか。
この「リュートを奏でる天使」が有名ですね。
メロッツォ・ダ・フォルリ「バルトロメオ・プラティーナにヴァティカン図書館長を任命するシクストゥス4世」
1477年の作品です。このメンバーはシクストゥス4世はじめ、多くは反メディチ家のメンバー。ロレンツォ豪華王を暗殺しようとした「パッツィ事件」に加担します。ちなみに右から3番目の赤い服が、後のユリウス2世。左から2番目の青い服がジローラモ・リアーリオ伯爵で、事件の黒幕の一人と言われます。
ルーカス・クラーナハ「ピエタ」
ピナコテーカの最大の見所は第8室のラファエロです。
ラファエロ「キリストの変容」
1508年〜1520年の作品です。ジュリオ・デ・メディチ枢機卿(後のクレメンス七世)の依頼によりつくられました。
光に包まれ昇天していくキリスト。それを取り囲む預言者エリヤ、モーゼら。下の層ではキリストの奇跡により、悪霊に取り憑かれた若者が救われていきます。
この作品が完成した年、ラファエロはわずか37歳で早逝。絶筆となりました。
ラファエロ「フォリーニョの聖母」
1512年の作品です。フォリーニョは、イタリア中部のペルージャにある街です。この右下の赤い服のおっさん(枢機卿)の出身地らしい。
第9室にダヴィンチの「聖ヒエロニムス」があるはずなんですけど貸し出し中のようでした。
ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ「フラーリの聖母」
1520〜1525年頃の作品です。下界の聖人たちを天上から見守る聖母子の図です。
パオロ・ヴェロネーゼ「聖女ヘレナの幻想」
1560年頃の作品です。キリスト教を初めて認めたコンスタンティヌス帝の母・聖ヘレナが天使が現れる夢を見る場面です。
第12室には必見のカラヴァッジョ「キリスト降架」があります。
1602〜1604年の作品です。コロナさえなければ2020年に来日予定でした。
これがカラヴァッジョの最高傑作とも言われる作品。この絵は元々、ローマのサンタマリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂に飾られていました。
その後、一旦はナポレオンの接収にあい、ルーヴルに奪われました。ナポレオン失脚後に返還されましたが、なぜかキエーザ・ヌオーヴァでなく、ヴァチカンに返還されてしまい、現在に至ります。
グイド・レーニ「聖ピエトロの逆さ磔」
1604〜1605年の作品です。カラヴァッジョかと思ったら違った!
グイド・レーニによる、カラヴァッジョ様式の完コピです。あまりに作風が似ているため、血の気の多いカラヴァッジョは激怒し、レーニと危うく決闘になるところだったとか。
グイド・レーニ派画家「運命の女神とキューピッド」
1623年ごろの作品です。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「天使」
1650〜60年代の作品です。
サンタンジェロ橋用の試作品かな?わからんけど。
ピーニャの中庭
ピーニャの中庭に出てきました。
ここでグループ参加の人は、システィーナ礼拝堂の絵画の説明を受けます。
システィーナ礼拝堂内での撮影やガイドは禁止されてるので、事前にここで解説しちゃうんですね。
ピーニャとはそもそも松ぼっくりの意味らしい。ローマでは豊穣を意味するシンボルのようです。
もともと紀元前1世紀のブロンズ製で、ローマの旧市街地に置かれ、松ぼっくりの天辺から水が出ていたようです。
初代ローマ皇帝・アウグストゥスの巨大な頭部です。
キアラモンティ美術館
ここはキアラモンティ美術館です。古代彫刻の立ち並ぶ姿は、まさに壮麗です。
19世紀初頭のローマ教皇・ピウス七世が収集した古代彫刻と模刻の約1000体が陳列されています。
ピウス七世は多くの人が目にしたことがあると思います。ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」の絵の中で、ナポレオンの背後で渋い顔をしているローマ教皇です。
1797年のトレンティーノ条約により、ローマ教皇が所蔵する傑作の数々がナポレオン支配下のフランスに接収されました。
しかしナポレオン没落後の1815年、接収された作品のほとんどは取り戻され、新たな美術館に展示されることになりました。それがこのキアラモンティ美術館なのです。
陳列は彫刻奪還にも奔走したアントニオ・カノーヴァが行いました。現在もその配列は維持されています。
新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォ)
次は新回廊に入って行きます。
プリマ・ポルタのアウグストゥス帝
初代ローマ皇帝・アウグストゥス死後の紀元前14年に、妃のリヴィアがつくらせたものと考えられています。
19世紀にリヴィアの別荘跡で発見されました。
この新回廊も、ピウス七世がナポレオンから奪還した彫刻の展示のために創設したものです。
アスリート
アテナ・ジュスティニアニ
傷ついたアマゾンの女戦士像
ナイル川の彫刻群
1世紀の彫刻です。
1513年にサンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会そばで発掘されました。
ナイル川を寝そべった老人の姿で擬人化しています。
赤ちゃんたちはナイルの賜物を意味してるとか。
ちょっとしたミニ階段を上がります。
ピオ・クレメンティーノ美術館
ここはシモネッティ設計の「八角形の中庭(ベルヴェデーレの中庭)」です。この中庭を囲むようにたくさんの彫刻が飾られています。
16世紀初頭のユリウス二世の時代に、この庭に古代彫刻コレクションが設置されました。
ちなみに当初は正方形の庭園でした。八角形となったのは、18世紀後半のシモネッティによる改装の時です。八角形は永遠を意味する縁起のよい数字なのです。
ラオコーン像
これがヴァチカンの至宝・古代彫刻「ラオコーン像」です。
この作品は紀元前40〜30年頃の作品である、とする見方が優勢。1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見され、古代の著述家プリニウスが記すところの「ラオコーン像」であると断定されました。
この世紀の発見は衝撃をもって迎えられました。ローマ教皇・ユリウス二世によって、この作品はただちに購入され、ベルヴェデーレの中庭に置かれました。この肉体美は、発掘にも立ちあったミケランジェロに大きな影響を与えました。
発掘された時は何箇所か破損していたようで、想像復元されています。右手も一時は復元されていたらしいですが、今は外されていますね。
トロイア戦争神話で、トロイアの神官・ラオコーンは敵(ギリシャ)の木馬を町に入れることを警戒していました。果たしてその木馬の中にはギリシャの伏兵が潜伏していたのです。
ラオコーンの横槍はギリシャの味方をしていたアテネ神とポセイドン神を怒らせ、二匹の怪物ウミヘビがつかわされました。
ウミヘビどもに苦悶の中、絞め殺されるラオコーン父子の像です。
ベルヴェデーレのアポロン
このアポロンもちょっと中性的で美しい。
元々は右手に矢を、左手に弓を持っていたそうですね。
アテネのアゴラにあったブロンズ像の、ローマンコピーという説が通説です。
Venus Felix
恥じらいのヴィーナス像の傑作です。ガイドブックではこのヴィーナスは他の部屋にあると書いてあったんですが、八角形の中庭にありました。
ベルヴェデーレのヘルメス
1540年ごろ、ハドリアヌス霊廟(今のサンタンジェロ城庭園付近)で発掘されました。ハドリアヌス帝ということで、当初は皇帝の男娼アンティノウス像と思われていたそうです。
ここはミューズの間です。
トンマーズ・コンカ作の天井画です。
ミューズの間のあるじは「ベルヴェデーレのトルソ」です。紀元前1世紀の作品です。
この像はローマのナヴォーナ広場の南に位置する「カンポ・ディ・フィオーリ広場」で発見されたものだそうです。
時はルネッサンス盛期。ローマ教皇ユリウス二世の時代。
このよじれた肉体描写もミケランジェロに影響を与えています。システイーナ礼拝堂のフレスコ画を描くときに参考にしたそうです。
ミケランジェロはユリウス二世に欠けた部分を修復するよう依頼されましたが、「このままが美しい」と断ったそうです。
ここは円形の間です。シモネッティにより1780年に設計されました。
中央には大きな水盤があります。4メートルを越える一枚岩で造られた水盤です。
天井はまさにパンテオン風ですね。
地面はギリシャ風モザイクです。
ブラスキのアンティノウス
ハドリアヌス帝の愛人(男)で知られるアンティノウスの像です。頭部に松ぼっくり型の冠をしています。
↓これもアンティノウスっぽいですね。
ブロンズのヘラクレスの像
紀元前3世紀のものと言われます。古代劇場跡の地下から発掘されたそうな。
棍棒と手に持ったライオンの皮で、ヘラクレスと判別できますね。この部屋の唯一のブロンズ像です。
次にギリシャ十字の間を見ていきます。
3世紀のアテナ神のモザイク画が見事。
「トゥスクルム」の遺跡で発見されたものだそうです。
この部屋では4世紀に造られた2つの石棺が目立ちます。これらは、ローマ帝国で初めてキリスト教を認めたコンスタンティヌス帝の家族の石棺です。下の写真は「聖ヘレナの石棺」で、皇帝の母のためのもの。皇帝の母・ヘレナは熱心なクリスチャンでした。石棺には騎士と蛮族の戦いが刻まれています。
触んじゃねえ笑 ポルフィド大理石という硬い素材で造られ、貴人向けに使われることが古来多いものだとか。
これでピオ・クレメンティーノ美術館の鑑賞は終わりです。次に2階に上がっていきます。
ここから2階のルートはシスティーナ礼拝堂にたどり着くために、必ず通るルートなので渋滞が必至のルートとなります。
燭台のギャラリー
ここからは部屋というより廊下ですね。両サイドをギリシャ彫刻のローマンコピーが飾ります。
たくさんの乳房を持つ豊穣の神ディアナの像です。
19世紀に描かれた天井画も見事です。
元々は天井も壁もない柱廊だったそうです。
タペストリーのギャラリー
両側を19枚のタペストリーが飾ります。それにしても人がすごい。システィーナへの通路だからしょうがないんですけど。
とても落ち着いてじっくり見れるような感じじゃないですね。
金曜に夜間開館もするらしいので、次来る時はそれを狙ってみようかな。旅行は一度目は下見みたいなものですよね。
フランドルの見事な技術で、キリストの生涯が綴られます。
タペストリーは冬場は防寒機能も果たしました。
タペストリーの間を過ぎると、地図のギャラリーです。
地図のギャラリー
天井装飾が見事ですね。誰も圧倒される一番の見どころかも。16世紀に教皇グレゴリウス13世の命でつくられました。
40点ものフレスコ画の地図が長さ120メートルの回廊の両側に展示されます。
回廊の左右には、16世紀につくられたイタリアの地図が展示されています。
地図の位置も、北から南へと現実世界に合わせて設置されてます。
これがローマの地図です。
ローマの天井画です。各地に起こった奇跡を天井画にしています。
イタリア半島全土です。
ここが出口の装飾です。
「地図の間」から「ピウス五世の居室」、「ソビエスキ王の間」を抜けると、「無原罪のお宿りの間」にたどり着きます。
無原罪のお宿りの間
1858年、教皇ピオ九世によってつくられました。19世紀のイタリア画家フランチェスコ・ポデスティに描かせたフレスコ画です。
天井画も見事なり。
あっさり通過して、いよいよラファエロの間です。
ラファエロの間
第2室「ヘリオドロスの間」に来てみました。ここは教皇の居室として使われたそうです。1512年から1514年のラファエロ生存期間中に制作されました。
「宮殿から追放されるヘリオドロス」一番右で倒れてる男がエルサレム神殿に忍び込んだ曲者のヘリオドロスで、神が遣わした騎士たちに成敗されそうになる場面です。
一番左の赤い服を着た爺さん。よく見ると教皇ユリウス二世ですね。
「大教皇レオとアッティラの会談」フン族の王・アッティラのローマ侵攻を、教皇レオ一世が食い止める場面です。馬上のレオ一世のモデルは、ユリウス二世の後を引き継いでこの作品を完成させたレオ十世(メディチ家の教皇)です。
「ボルセンナの奇跡」ボヘミア司教が「聖体変化」を目の当たりにして驚く場面が描かれます。「聖体変化」とは、ミサの時にパンとぶどう酒がイエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化する奇跡のことです。
「聖ペテロの解放」ヘロド王によって囚われた聖ペテロが右端の神の使徒によって救われる場面です。
ペテロは神々しい光を放っていますね。
第3室「署名の間」は、ラファエロの間の中で最初に完成し、そして最も有名な部屋です。ユリウス二世が図書館兼書斎として使用していた部屋です。20代のラファエロは1509年から1511年にかけて、この部屋の多くを一人で手掛けました。
ラファエロ「聖体の論議」
中央が神の子・イエス。その上に神。両側を聖母マリアと洗礼者ヨハネが囲みます。イエスの下には聖霊としてハトと四つの福音書が描かれています。絵画の下部は下界の様子。聖職者たちが聖体について議論を戦わせています。
ラファエロ「アテネの学堂」
背景の建物は当時、建築中のサン・ピエトロ大聖堂であるという説が有力です。
ラファエロの最高傑作と言われます。ラファエロの作品中で最も有名な作品です。
中央にいる二人は、プラトン(左)とアリストテレス(右)です。プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチがモデル。
肘をついて憂鬱な哲学者ヘラクレイトス。ミケランジェロがモデルです。
端っこで、黒いベレー帽でカメラ目線の人がラファエロ自身です。
古代ギリシャ・ローマ時代の偉大な哲学者や科学者たちが、一堂に会する場面を描いた作品です。
天井画はラファエロの弟子たちが手がけたもの。
ラファエロ「パルナッソス」
9人の女神に囲まれたアポロンが楽器を奏でています。愛がテーマの作品らしい。
ラファエロ「枢要徳と対神徳」
人間の徳を擬人化して表しています。
第4室「ボルゴ火災の間」です。メディチ家出身のレオ十世の時代につくられました。ここは夕食をとる部屋だったとか。この部屋の作品は多忙なラファエロは下絵だけで、弟子たち(ジュリオ・ロマーノら)が中心に描いています。
下の絵は部屋の名前の由来となった「ボルゴの火災」です。847年のレオ四世の時代にバチカン周辺で起こった火災の場面が描かれています。
「カール大帝(シャルルマーニュ)の戴冠」紀元後800年にサン・ピエトロ大聖堂で行われたカール大帝の戴冠式。カール大帝の顔はフランソワ一世、レオ三世の顔はレオ十世の顔で描かれています。
天井画はラファエロの師匠・ペルジーノが描いたものです。
ラファエロの間の見学の後は、階段を降りるとボルジア家の間にたどり着きます。
ボルジア家の間
ここはラファエロの間の下にあります。
ルネッサンス期の堕落した教皇の中でも、とりわけ悪評が高いアレクサンデル六世によって造られました。
アレクサンデル六世はスペイン出身。強欲さと好色さで知られました。
縁故優遇も目立つ人物でした。彼の息子が有名なチェーザレ・ボルジアです。
チェーザレはアレクサンデルの庇護のもと十代で枢機卿となり、還俗後は軍人として北イタリアを征しました。
チェーザレは織田信長にも似た冷徹な統治者でした。マキャベリは名著「君主論」で、チェーザレを理想の君主像としてたたえました。
豪奢な装飾はピントゥリッキオの手によるものです。