歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

北海道 網走歴史巡り【博物館・網走監獄】

2011年夏の北海道旅行記です。思えば震災の年か。羽田空港から出発です。

北海道へと向かいます。

女満別空港へと!

女満別空港に到着!ガラス汚れてるな。

女満別からはバスでJR網走駅へ。

網走駅前にアイヌか何かのおっさんの像が立ってますね。

網走といえば網走刑務所。観光目的は「博物館・網走監獄」です。

 

博物館・網走監獄

実は1998年ごろにも一度来ていて、これが2回目。JRの駅からは遠いので、バスでやってきました。

「鏡橋」の再現です。網走刑務所に入所する際、網走川を渡らないといけないので、必ず「鏡橋」を通ることになります。

入所前に、「水面に我が身を映し、襟を正し、心の垢を拭い去れ!」とのことで、「鏡橋」と言われるようになったそうです。

 

さあ、入所wしていきます。

正門(煉瓦門)です。当初は木造だったらしいが火災で焼失し、大正年間に煉瓦作りになったそうです。

150万枚の煉瓦でつくられてるそうだから、大したもんですね。

北海道の原野を開拓させられた囚人たちの像。

看守さん。迫力あります。

 

このおっさんは明治時代の脱獄王「五寸釘の寅吉」だって。全国の刑務所を6回も脱獄。しかし網走に移送されてきてからは改心。最後は模範囚として出所が認められたとか。

 

看守さんの控え室。

 

おお!面会人待合室。お袋さんが待ってる。お袋を悲しませやがって!

 

これは明治後期に再建された「網走刑務所・旧庁舎」です。木造の擬洋風建築です。

面会に来た家族の様子。昭和に入っても網走は最果ての地。東京から3泊4日かかりました。そして面会時間はわずか30分。

 

当時の刑務所の最高責任者は「典獄(てんごく)」といいました。これは典獄が食事の検査をしているところです。

 

 

「旧網走刑務所職員官舎」の復元です。

刑務所職員の家族の社宅ですね。

 

 

 

これは「休泊所」といいます。

受刑者が塀の外に出て、日帰りできない作業をする時の仮宿泊小屋です。

明治24年に網走から札幌へと続く中央道路工事では、延べ1200人の受刑者が投入されました。

別名「動く監獄」と言われます。

 

 

看守のおっさん、怖いです。

木の枕じゃあ寝れないなあ。

その他、様々な労役が課せられました。

これは鍛冶作業。

農作業。

オレンジの目立つ服は、脱走した時に見つけやすくするためですね。

 

 

「監獄歴史館」です。

移送される囚人たち。1200人の男たちが網走に送られてきたのは1890年のことでした。

囚人たちは、北海道開拓の貴重な労働力として利用されました。

食事中。

 

作業中。

 

入浴中。

囚人たちにとって一番の楽しみだったそうです。

 

教誨堂です。

僧侶や牧師様の前で悔い改める。

ここから獄舎。

 

 

「五翼放射状平屋舎房」です。明治末から昭和59年まで使用されたものです。

明治監獄の名残を完全にとどめる舎房としては、国内最大規模のものです。

 

 

 

これは浴場。大正以降は近代的になってきます。

みなさん、立派な彫りものをお持ちでw

 

煉瓦造り独居房です。明治末のもの。

決まりを守らないワルは叩き込まれました。

 

最後に現在の網走刑務所。

 

 

 

 

 

 

なんだ天国かw

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