歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

下関歴史巡り③【下関会議、壇ノ浦の合戦】

下関観光の続編です。

春帆楼

赤間神宮に隣接する「春帆楼(しゅんぱんろう)」という割烹旅館の前をふらついてみました。

外観を撮影してみました。2014年夏時点で工事中っぽかったです。

明治時代開業のお店で、1895年の日清戦争講和会議=下関会議の舞台になったことで知られています。

日本代表として、伊藤博文と陸奥宗光が出席し、清代表として李鴻章が出席した会議です。

 

またこのお店は、伊藤博文によるふぐ解禁公認の第1号店舗だそうです。長らくふぐ食は禁止されていたのですが、伊藤公が春帆楼を訪れた際、ちょうど不漁のため出す魚がなく、仕方なく出したふぐの絶品の味を気に入った伊藤公がふぐ解禁を命じたとか。

そもそも春帆楼という店名も、伊藤が名付け親らしく、とにかく伊藤公の御用達だったわけですね。

ふぐ像までありましたw

日清講和記念館

春帆楼に隣接している日清講和記念館に入館してみました。

会議場復元、これはかっこいいです。

下関会議当時に使用された椅子やテーブル・硯など会談の場をそのまま保存してあります。

条約文の写真ですね。

署名に日本代表・伊藤博文、陸奥宗光、そして清国代表・李鴻章の名前がありました。

日清講和記念館そばに「李鴻章道」がありました。

1895年の下関講和会議中に、清国代表・李鴻章が日本人暴漢に襲われ負傷する事件がありました。

以後、李鴻章一行は会議場への行き帰りの際、大通りを通るのを避け、裏道を通ったとか。その道がいつしか「李鴻章道」と言われるようになったそうです。

伊藤博文、陸奥宗光の胸像がありました。

日本外交史上最高と言われる名コンビですね。

みもすそ川公園

そのあとに「みもすそ川公園」を散策してみました。「みもすそ川公園」は、源平合戦の最後の舞台となった「壇ノ浦(だんのうら)」に面した公園です。下関駅からバスで12分くらいの場所にあります。

公園前は「早鞆(はやとも)の瀬戸」と言われる関門海峡一の難所です。海峡の中で一番狭まった場所で、幅は約600m。川のような激流で、最大潮流は時速約17kmと言われます。船舶の停留や事故も発生しやすいとのこと。

長州砲レプリカです。

幕末の攘夷戦争や下関戦争で使用された大砲を原寸大に復元した「長州砲レプリカ」がありました。

5門が海峡に向けて設置されています。うち1門は、100円硬貨を投入することで砲撃音と煙の演出を楽しむことができます。

 

天保製長州砲の復元です。

実は長州砲の実物はフランスの軍事博物館(ナポレオンの墓に隣接するアンヴァリッド博物館)に現存していたそうです。それが下関の長府博物館に貸与され、そこからこのレプリカを作ったそうです。

NHK大河ドラマ『義経』出演者の銅板手形、松坂慶子(二位尼役)の手形ですね。

源義経と平知盛像です。

知盛は錨を担いだ姿の銅像です。

義経は八艘(はっそう)跳び姿の銅像です。

安徳帝御入水之処碑。

二位尼(平清盛の妻・平時子)による辞世の句「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」が刻まれています。

 

関門トンネル人道

さて下関市に別れを告げて、九州へと渡ります。何と海底を歩いて渡れるんですね!関門トンネルは二重構造になっていて、上が車、下が人道となっており、歩いて渡れます。今回は下関市から北九州市門司に渡ってみたいと思います。

ちなみに関門トンネル人道は780mで、徒歩約15分といったところです。通行料は無料です。ただし自転車、原付は20円取られるみたいです。

入り口にはエレベーターがあり、下関側は地下約55m、門司側は地下約60m降ります。 

早速行ってみましょう。

これが山口県と福岡県の県境。本州と九州の境目でもありますね。記念撮影の格好のスポットになっています。

歩いて九州にきましたで。

門司側にあるノーフォーク広場。アメリカのノーフォーク市と北九州市が姉妹都市なんですね。ノーフォークは確かあのペリー提督が、日本に来航した際の出発地だったはず。現在もアメリカ大西洋艦隊の一大軍事拠点ですね。

ノーフォーク広場から門司港中心部まで、トロッコ鉄道が走っています。

北九州銀行レトロラインというそうです。

 

 

 

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