歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

下関市歴史巡り②【巌流島、赤間神宮】

下関観光の続編です。今回は宮本武蔵で有名な巌流島に行ってみようと思います。

 

巌流島

下関グランドホテルの裏手に唐戸桟橋があります。そこから船が出ています。

ここから船で10分ほど行くと、有名な巌流島に着きます。今回は関門汽船というところの船に乗船しました。往復500円。

周囲1.6キロほどのこの小さな島で、宮本武蔵と佐々木小次郎が対決したのは1612年4月13日であったと言われています。

埋め立てされて武蔵が決闘した時よりだいぶ大きくなってるみたいです。福岡ドームの6~7倍程度らしい。

でもまあ人工っぽすぎて、歴史の重々しさはまるでありませんねw

巌流島文学碑と木碑です。

船の形をしています。

佐々木巌流の碑です。巌流(岩流)とは、佐々木小次郎の号のこと。というかそもそも「佐々木小次郎」という名前そのものが不確かなのだそうです。当時20代の武蔵に対し、小次郎は50とも70とも言われて、年齢さえ不詳。謎が多いのです。

出た!武蔵・小次郎像

小次郎に対し、遅れて来て木の櫂を削った木刀で襲いかかる武蔵。名場面中の名場面です。(武蔵が遅れて来たというのは吉川英治の「宮本武蔵」の創作らしい)

 

赤間神宮

巌流島から戻って、次は赤間神宮を目指します。赤間神宮は唐戸市場からは徒歩10分くらいの場所にあります。

壇之浦の合戦に敗れ、平氏一門とともにわずか8歳で入水された安徳天皇を祀っています。

赤間神宮の象徴「水天門」です。

1958年に、この美しい龍宮造りの姿になりました。これは「平家物語」の中の、壇ノ浦の合戦の痛ましくも美しいエピソードからとられています。

安徳天皇は、最期を覚悟して神爾と宝剣を身につけた祖母・二位尼(平清盛の妻・平時子)に抱き上げられると、「尼君は、わたしをどこへ連れてゆくのですか」と問いかける。

二位尼は涙をおさえて「この世はつらくいとわしいところですから、極楽浄土にお連れ申すのです」と言い聞かせる。

安徳天皇は小さな手を合わせて念仏を唱えると、二位尼は「浪の下にも都のさぶらふぞ(波の下にも都がございますよ)」と慰め、安徳天皇を抱いたまま急流に身を投じた。

波の下の都=龍宮という意味なのですね。

小泉八雲の怪談で有名な「耳なし芳一」を奉る「芳一堂」です。

「耳なし芳一」は赤間神宮が舞台だったのですね。

盲目の琵琶法師・芳一は平家の亡霊に取り憑かれてしまった。芳一を救おうと、和尚が芳一の全身に経を書いたが、耳に書き忘れてしまったため、亡霊によって、その耳をちぎり取られてしまったという話でした。

お堂の芳一像もきっちり耳なしですね。

 

平家一門の墓「七盛塚」です。

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