歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

北海道 宗谷岬歴史巡り

北海道旅行記です。宗谷バス稚内ツアーの続編です。稚内公園を後にして、次はいよいよ「宗谷岬」へと向かって行きます。

宗谷岬へ

車窓から北海道らしい雄大な風景を堪能。

風力発電の風車が間近にみるとデカいですね。

太陽光パネルも見られます。

この旅行の1ヶ月後の、2018年の秋に大地震(北海道胆振東部地震)が北海道を襲いますが、その際に停電が発生しました。再生可能エネルギーも、電力量や安定性でまだまだ当てにできない感じですねえ。

 

通称「ミルクロード」と言われる道路を行きます。

なるほど。メグミルクの保管タンクと牛乳輸送車がいた。

酪農王国ならではです。

 

宗谷丘陵を登って行きます。風車がいっぱい見えますねえ。

 

宗谷丘陵の一番てっぺんには航空自衛隊のレーダーサイトもあります。さすが国境の町だ。

 

エゾシカ、いた!人慣れしてて逃げないんですね。手前、小鹿のバンビちゃんが寄ってきます。

この黒いつぶつぶは何でしょうか?

肉用の宗谷黒牛でした。

 

 

樺太、ついに見えた!しかもばっちりよく見える!

 

旧日本領ですよ、あの島は!

 

宗谷岬

とまあ、いろいろ興奮しつつも、宗谷岬に到達しました。

宗谷岬の上の高台に「宗谷岬公園」があります。さまざまなモニュメントがあり、宗谷岬に降りる前にサクッと見学して行きました。まあありがちな平和宣言みたいなもんかと思ってましたが・・。

祈りの塔

この「祈りの塔」は、「大韓航空機撃墜事件」の犠牲者の慰霊に建てられたものだそうです。

 

大韓航空機撃墜事件は、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソ連の領空を侵犯したために、ソ連軍の戦闘機により撃墜された事件のこと。乗員・乗客合わせて269人全員が死亡しました。

この事件は眼前の樺太沖で発生し、宗谷にも大量の漂着物が流れ着いたようです。未だに謎多き衝撃的な事件でした。

 

旧海軍望楼

明治時代にロシアとの国境の備えとして、旧帝国海軍が建設したものです。

特に日露開戦後は、当時最強といわれたロシアのバルチック艦隊が、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡のどこかを通過し、ウラジオストクに集結するかを察知することは、極めて重大なことでした。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」で知られる、帝国海軍の至宝であった秋山真之参謀でさえ、対馬海峡から来るか、津軽海峡、宗谷海峡を通るか悩みまくったらしいですね。

 

「日本海軍、錨揚ゲ!」小説家の阿川弘之さん(阿川佐和子さんのお父上)と、半藤一利さんの対談集の中で、日本海海戦の時の、バルチック艦隊・会敵についての困難が語られています。

 

「坂の上の雲」では、東郷平八郎が迷うことなく決断した=「東郷は神」みたいなノリで描かれているが、真相は違う。その後に見つかった資料で、バルチック艦隊の進路については、やはり東郷も自信がなく相当迷っていたらしい。決断を後押ししたのは、実は島村速雄参謀長であったとのことでした。

日露戦争の終結に伴い望楼の使命は終わりましたが、その後も、無線通信基地や、大東亜戦争では対潜水艦監視基地として使用されました。稚内では明治年代の建築物で現存する唯一のもので、1968年12月、市の有形文化財に指定されました。

 

あけぼのの像

1971年に北海道の牛乳生産量100万トンと、、飼育乳牛頭数50万頭突破を記念して建立されたそうです。若い男女が宗谷丘陵を見つめながら、天北酪農の夜明けへ向かう!みたいな感じらしい。

ちょっと逆光が強くて、補正したんですが、見えづらいですねえ。

 

ラベルーズ顕彰記念碑

ラベルーズって誰よ?w

フランスの海軍将校で、あのルイ16世の命を受けて、極東海洋調査を行い、1787年に欧州人としては初めて宗谷海峡に到達した人らしいです。

でも2年後のフランス革命で、王政自体が倒れてしまうとは思わなかったでしょうねえ。この碑は2007年に建立されたらしい。

 

宗谷海域戦没者慰霊碑

1945年7月この海域で、アメリカ軍の潜水艦が稚泊連絡船を狙って、攻撃しようとしました。そこを帝国海軍の「第112海防艦」が身代わりとなって、爆沈し、連絡船は守られました。

英霊152名の霊を慰めるため、建てられたそうです。

 

さて宗谷岬公園の高台を下っていきます。

 

間宮林蔵立像

まずは間宮林蔵立像にまた会えました。

 

 

宗谷岬記念碑

その隣には観光名所の宗谷岬記念碑!

宗谷岬は北緯45度31分の「日本最北端」の地とされます。

「」付きの表現にしたのは、勿論本来の最北端は択捉島のカモイワッカ岬だから。ロシアに不法占拠されています。

ゆえに宗谷岬は日本政府の実効支配が及ぶ中での、訪問可能な最北端ということになるようです。

 

 

 

土産物屋さんの最北端商売もすごい!

北緯45度31分22秒と表示されてます。

 

土産物屋さんで「日本最北端到達証明書」買っちゃいました。

100円くらいなら、私でも買える!でもこの土産物屋さん達も、もし北方四島返還されたら、商売上がったりですね笑

 

 

宗谷岬から西へ3キロメートルのところに、「間宮林蔵渡樺出港の地」がありました。

 

林蔵は生きて帰れぬ覚悟で、郷里の茨城から持ってきた墓石を海岸に建て、探検への覚悟のほどを示したといわれています。

 

野寒布岬(ノシャップ岬)

最後に宗谷を離れ、再び稚内港近辺に戻ってきましやた。稚内港そばの、野寒布岬(ノシャップ岬)の灯台を見学しました。

よく間違えられるみたいですが、根室の納沙布(ノサップ)岬とは違います。

 

利尻富士もよく見える。

 

謎のイルカの像は何なのか?

 

稚内灯台

野寒布岬の灯台です。

北海道一高い灯台だそうです。

高峰秀子主演の映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったそうです。昔見たことはあるはずなんですが、よく覚えてない。 

灯台守の夫婦の話でしたよね。デコちゃんと木下恵介監督は日本映画の黄金コンビでした。

 

 

申し訳ありませんが、クリックで応援お願いします! にほんブログ村 旅行ブログへ