岡山歴史巡り③【備中高松城、吉備津神社】
岡山駅から桃太郎線に乗ります。
JR備中高松駅
目的地は備中高松城跡。豊臣秀吉の備中水攻めの古戦場を巡礼していきます。
巨大な鳥居。最上稲荷は日本三大稲荷です。行かなかったけど。
妙玄寺
ごうやぶ遺跡です。ここは清水宗治配下の武将たちが、宗治の死後に殉死した場所だそうです。
備中高松城主・清水宗治の自刃の地です。
宗治は家臣や家族の命を救うため、秀吉の降伏勧告を容れて切腹しました。
自分の身を捨てて、部下を救った。今も宗治は英雄視されています。
備中高松城跡
高松城包囲戦を模したオブジェがあります。1582年、織田信長の中国攻めの先鋒として、羽柴秀吉が高松城を包囲しました。
真ん中には高松城。ここを攻めあぐねた秀吉は黒田官兵衛の献策を容れ、高松城を水没させる作戦に出ました。
これが世にいう「高松城水攻め」です。
秀吉は水没した高松城に織田信長を招くつもりでしたが、なんと1582年6月2日、信長は本能寺の変で急死してしまいます。事態は急変します。
高松城址公園資料館です。ここは無料の資料館。
名将・清水宗治公。
こんな顔なの?むしろ秀吉っぽくないか。
6月3日、明智光秀の毛利軍への密使が秀吉の陣地に迷い込み、秀吉は信長の死を知ります。
秀吉は信長の死を隠したまま、毛利と和議を結びます。条件は城主・清水宗治の切腹のみで、城兵の命は助けるというものでした。
1985年の豪雨で、水攻め状態が再現されました。
6月4日、宗治の切腹を見届けた秀吉は、明智と決戦を行うべく近畿に強行軍で引き返しました。これが秀吉の戦史の中でも名高い「中国の大返し」です。
「明智は名うての戦上手、勝てるかよ・・」(大河ドラマ「秀吉」より)
宗治の蓮だそうです。
備中高松城の本丸跡。
浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して
宗治の首塚です。
清鏡庵というお菓子屋さんがありました。
ここでは宗治饅頭、水攻め饅頭が食べられます。こういうネーミングに弱いブログ主は、宗治饅頭を購入。美味しかった!(水攻め饅頭は品切れでした)
JR吉備津駅
次に同じ路線の吉備津駅にやってきました。
有名な吉備津神社に参拝していきます。
松並木の参道が美しい。
吉備津神社
この地にかつて悪の鬼神・温羅(うら)が出現した時、朝廷から遣わされた吉備津彦命が温羅に射る矢をこの岩に置いたという。
矢置岩といいます。
吉備津彦命が鬼神を退治した伝説は、昔話「桃太郎」の原型となりました。
北随神門です。
本殿・拝殿へと向かいます。
本殿・拝殿
1425年に落成した国宝です。こんな屋根は見たことない。
この本殿は「比翼入母屋造」または「吉備津造」と呼ばれる独特のものです。
廻廊
もう一つの見所は398メートルの長さを誇る廻廊です。
見事なり。
御竈社(みかま)です。
鬼神の首塚らしいですね。
本殿・拝殿を去ります。
ホテル・リブマックス
安い、駅近し、清潔、コンビニ近しでビジホとしては文句なし。