歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

満洲・旅順歴史巡り②【水師営会見所、アカシア通り】

満洲(現在はチャイナの東北部と呼ばれる)を中心に歴史巡りをしていきたいと思います。

大連市の旅順を戦跡巡りしています。水師営会見所へと向かいます。

 

 

ちなみにこのへんは日本人しか来ない観光地のようです。周囲は貧困地帯っぽい。

旅順軍港が近いためか、1990年代初頭までこの辺は外国人に開放されてなかったみたいですよ。

水師営会見所

日露戦争、旅順の死闘の末、ついにロシア旅順要塞司令官ステッセル中将は降伏の申し出をしました。1905年1月1日のことでした。ここ水師営は日露両軍の停戦協定が結ばれたところです。

1996年の復元のようですね。普通の農家みたいです。

チャイナ女性ガイドも日本語うまかった。さまざまなパネルがあって、日露戦争の経緯を学ぶことができました。

旅順口。

旅順口閉塞作戦の広瀬武夫。

203高地砲撃。

28㎝榴弾砲ですね。

水師営会見所のようす。白い馬に乗っているのがステッセル中将。

この白馬は後に乃木大将にプレゼントされた。

二列目の左から二番目が乃木大将。右から二番目がステッセル中将。前の晩は両軍ともだいぶ飲んでたみたいですね。前列のやつ、明らかに酔っ払ってるよ。

乃木将軍は敗軍の将ステッセルに帯刀を許し、敵将の名誉を守りました。この会見を経て二人は真の武人として尊敬し合う仲となりました。

帰国後に戦犯として裁かれそうになったステッセルの、特赦の働きかけを行ったのは乃木将軍。または明治帝に殉死した乃木将軍に、匿名で多額の弔慰金を送ったのはステッセルでした。

日露両軍の「会見場」も復元されてましたが、なぜか撮影禁止でした。その代わり日露戦争時代の新聞やポスター、コインなどあって、それを売りつけようとしてましたw

 

このナツメの木のあたりが日露両軍の将軍が記念撮影した場所。

ステッセル将軍もアラブ産の白馬を乃木将軍に贈り、このナツメの木に繋がれたそうです。

水師営会見所の石碑が、隅っこで斜めにされています。

日本人しか来ない観光地なんだから、ちゃんと展示してもらいたいもんですね。

水師営を立ち、バスで次の目的地へと向かいます。

ここが旧・旅順ヤマトホテルです。車窓撮影です。

ここが旅順駅ですね。ここは東清鉄道の終着駅で、1906年に満鉄がロシア人設計士に作らせたものの再建です。

アカシア通り

さあ、満洲といえばアカシアです。最後の観光地・・アカシア通りを散策してみました。開花時期は5月頃で、綺麗な白い花を咲かせます。

サザンオールスターズ「流れる雲を追いかけて」

 

流れる雲を追いかけて アカシヤの丘  異国の地よ

 冷たい時間(とき)に耐えかねて つれぬ世の運命(さだめ) 

ただ見果てぬ夢を追えば 大連の橋の上

 ああ せつない胸を抱いて 母の顔がチラホラリ 

連鎖の街にあの人と 手に手をつなぎ歩いた夜

 ダンス・ホールに行こうかな あの頃はもう帰らん

まだ幼いこの子を連れ ハルビン行きの列車

ああ お前の名前すらも きっとあの人は知らず

進軍ラッパがプププププ・・ツバメのダンスにゃホロホロリ

だけどホラあの人に会える 

その日までゆらゆら通せんぼ

毎年5月の開花時期に大連ではアカシア祭りも開かれるそうです。その時期にまた来てみたいですね。これで満洲の観光はすべて終了です。ホテルのある大連に帰ります。

 

夕暮れの黄海です。

軍艦がいきなりある。老朽艦だから展示用かな。

晩御飯はしゃぶしゃぶ食べました。

翌朝は8時台の飛行機で帰国です。バスで空港まで向かいます。

これ、一瞬だけ偶然撮れたのを拡大したんですが、空母じゃないですかね!?

スキージャンプ型艦首。「001A型山東」というのが大連港にいるはず。多分これじゃないかなぁ

大連国際空港

空港に到着しました。

さようなら、大連。さようなら、満洲。

で、あっさり成田に到着。まだお昼前です。アジアは近くていいですねえ。

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