歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

ロンドン芸術巡り⑩【ナショナル・ポートレートギャラリー⑵】

イギリス(イングランド)旅行記です。「ナショナル・ポートレートギャラリー」という肖像画専門の美術館の続編です。


ナショナル・ポートレートギャラリー

ここからは19世紀のヴィクトリア朝〜20世紀。


ヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王は1837年に18歳で即位。身長は150センチそこそこの小柄であったが、頑固なところがある性格。父を早くに亡くしたことからか、年長男性への依存傾向があった。


メルバーン子爵ウィリアム・ラム首相

ヴィクトリア女王の寵愛を一身に集めたのはメルバーン首相であった。当時のヴィクトリア女王は寝ても覚めてもメルバーンで、「メルバーン夫人」と陰口を叩かれるようになる。

 

アルバート公

メルバーンにとって代わったのは、ザクセン公子アルバートだった。ヴィクトリア女王は頭脳明晰なアルバートを深く信頼するようになり、婚姻。九子をもうけた。アルバートは文化面でも英国史に名を残している。1851年の史上初万国博覧会の成功である。そして、この万博の収益金でつくられたのが、現在のヴィクトリア&アルバート博物館なのである。


ヴィクトリア女王とアルバート公

アルバート公は、ヴィクトリア女王の舵取りをうまくやってのけた。お気に入りに肩入れしすぎるヴィクトリアも、アルバートの存命中は不偏不党で、政治家たちと公平に接していたという。

ヴィクトリア女王

アルバートは1861年に急死。ヴィクトリア女王は絶望し、その後10年以上も喪に服し、引きこもってしまう。が、1870年代に公務に復帰し、ディズレーリ首相の帝国主義政策を全面的に支援し、大英帝国の最盛期を築き上げた。ディズレーリへの寵愛は、かつてのメルバーンを超えるものがあったという。


ヴィクトリア女王

ヴィクトリア女王は1901年に崩御。ヴィクトリアの63年7か月(英国史上歴代2位、1位はエリザベス二世女王陛下)の治世はヴィクトリア朝と呼ばれ、政治・経済のみならず、文化面でも優れた成果を上げた。ヴィクトリアの数多いあだ名の一つに、「ヨーロッパのおばあちゃん」というものがある。娘たちをヨーロッパ中の王家に嫁がせ、またヨーロッパ中の王家から息子たちに嫁をもらい、孫の数は40人。ひ孫は37人いたという。


ヴィクトリア女王の葬儀

長くて見てらんないが、映像の時代まで生きてた人だったんですね!


エミリー・ブロンテ

イギリスの女流小説家。30歳で早逝したが、唯一の長編小説『嵐が丘』を遺した。


チャールズ・ディケンズ

ヴィクトリア朝時代を代表するイギリスの小説家である。『オリバー・ツイスト』『クリスマス・キャロル』『二都物語』『大いなる遺産』などが代表作である。華やかなヴィクトリア時代の影で、貧しい暮らしにあえぐ庶民の姿をリアルに描いている。


ジョン・エヴァレット・ミレイ

19世紀のイギリスの画家。ラファエル前派の一員に数えられる。代表作は「オフィーリア」で、ロンドンのテート・ブリテン所蔵だが、今はオーストラリアに貸し出しているみたいです。



ウィリアム・グラッドストーン

19世紀後半のイギリスの政治家。自由主義的政策を押し進めた。84歳まで首相を務めたが、生涯のテーマであったアイルランド解放は生前にはついに実現できなかった。ヴィクトリア女王の寵愛を受けたディズレーリの政敵だったため、女王の憎悪の対象となった。


チャールズ・ダーウィン

イギリスの自然科学者。1859年の著書『種の起源』で、いわゆる進化論を確立した。


アーサー・コナン・ドイル

イギリスの作家。推理小説・歴史小説・SF小説などを多数著した。『シャーロック・ホームズ』シリーズの著者として最もよく知られる。第一次大戦で多くの身内を失ったためか、晩年は心霊主義にのめり込んでしまったという。


ネヴィル・チェンバレン

イギリスの政治家。1938年ミュンヘン協定によって、ヒトラーのチェコスロバキア・ズデーテン地方の割譲要求を認め、ドイツとの戦争を回避した。この判断は当時は絶賛され、英雄扱いを受けた。しかし結局ヒトラーは協定を守らず、翌1939年に第二次大戦が勃発してしまう。チェンバレンの政策は、独裁者への妥協、宥和政策の典型とされ、一般には強く批判されることが多い。


ウィンストン・チャーチル

第二次大戦戦勝の際の首相で、英国史上最も有名な政治家。第二次大戦の回顧録を著し、ノーベル文学賞を受賞している。


エリザベス二世女王陛下

1952年にイギリス女王として即位。2015年に在位期間が63年と216日となり、ヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最長在位の君主となった。


マーガレット・サッチャー

1979年、女性初のイギリス首相に就任する。新自由主義に基づく「小さな政府」を志向した政策を実施した。一貫した反共思想のサッチャーを、ソ連機関紙は「鉄の女」と非難したが、皮肉にもそのネーミングをサッチャー自身が気に入り、以後はサッチャーの代名詞として定着した。(反安倍ジャーナリズムが「アベノミクス」を造語し、逆に人気を高めてしまった例と似ている)
1982年のアルゼンチンとのフォークランド紛争では、間髪を入れず戦時内閣を組織。多数の艦艇、航空機を投入し、戦闘状態に入る。国連停戦案を拒否権ではね退け、2ヶ月に及ぶ戦闘の結果、イギリス軍はアルゼンチン軍を降伏させた。このサッチャーの断固たる姿勢は、国内外から極めて高い評価を受けた。
↓メリル・ストリープがサッチャーを演じた伝記映画。サッチャー本人も家族たちも、この映画を不快に思ったのか、ついに観ることはなかったという。



ザ・ビートルズ

リバプール出身。20世紀最大のロック・グループの一つである。


ダイアナ妃 (プリンセス・オブ・ウェールズ)

イギリスの名門貴族の令嬢として生まれ、1981年にチャールズ王太子殿下(プリンス・オブ・ウェールズ)と結婚、二児をもうける。しかし後に別居状態になり、1996年に離婚。1997年にパリで交通事故による不慮の死を遂げた。


ケイト・ブッシュ

イギリスの女性シンガーソングライター。ピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアに見出され、1975年にレコードデビュー。代表作は「天使と小悪魔」(日本盤のジャケットが魅力的だった)、「ドリーミング」など。


エイミー・ワインハウス

イギリスの女性シンガーソングライター。2003年にデビュー。2006年のアルバム『バック・トゥ・ブラック』は全英1位を獲得。しかし薬物中毒やアルコール依存症など、スキャンダラスな人物でもあり、2011年7月23日、ロンドンのカムデンにある自宅で遺体で発見された。(死因はアルコール中毒と推定)享年は27歳。ブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ジム・モリスン、カート・コバーンと同年齢での不幸な死は、「27クラブ」の神話をさらに補強してしまった。


↓このカッコよさを見よ!

 

マララ・ユスフザイ

パキスタン出身の女性運動家。11歳の時から女性への教育の必要性や平和を訴える活動を始め、イスラム過激派に狙われる身となる。2012年スクールバスが襲撃され、二発の銃弾を受けるも奇跡的に回復。2013年、国連本部で「銃弾では自身の行動は止められない」と演説をして、教育の重要性を訴えた。2014年、ノーベル平和賞受賞。17歳でのノーベル賞受賞は史上最年少記録である。


キャサリン妃殿下 (ケンブリッジ公爵夫人)

イギリス王室のケンブリッジ公ウィリアム王子殿下(王位継承権第2位)の配偶者。


ちょっと変わった展示もありました。セックス・ピストルズのシングル盤「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」

チャールズ王太子殿下と故ダイアナ妃の結婚記念。

エリザベス二世女王陛下戴冠式のポスター。

ショップも面白かったです。


 

歴代国王グッズもいろいろありました。

やっぱり女王や王妃が、国の華だということがわかりますね。

イギリスの歴史も面白いね。

 

wasabi

この後でインチキ?くさい寿司屋にやってきました。wasabiという店で、ロンドンではそこら中にあるチェーン店です。

海苔巻きじゃなく、ゴマ巻きか。ちょっと微妙。

ドリンクも緑茶じゃなく甘かった。タピオカっぽいのが沈殿してました。

この後はノヴェロ劇場に行って「マンマ・ミーア!」観て帰って寝ました。

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