パリ芸術巡り④【モンマルトル、バトー・ムーシュ】
パリの町巡りをしていきたいと思います。
まずは映画「アメリ」でも有名になったモンマルトル界隈を散策してみます。
モンマルトル
モンマルトル (Montmartre) は、パリで一番高い丘で、標高130メートルあります。
ジュテームの壁
メトロのアベス駅を降りてすぐ「ジュテームの壁」を発見しました。
世界各国の言葉で「愛している」という言葉が刻まれています。
あったw
これからモンマルトルの丘を上がっていきます。
一駅だけのケーブルカーで上がっていくこともできます。
サクレクール寺院
丘の上に見えてきたのは白亜の「サクレクール寺院」です。
荘厳な雰囲気でした。完成は意外にも新しく1919年。第一次大戦のパリ講和会議の年です。
入場しましたが、ミサ中で撮影は禁止でした。写真はwikiより。
丘からはパリの街が一望できます。朝一で来たため静かでしたが、普段は観光客でごった返す場所です。
テルトル広場
テルトル広場も開店前。みんな絵やカフェの商売の準備中のようです。
モンマルトルは黒人の「ミサンガ売り」という悪党どもが出没する地帯らしいですが、朝早く行ったせいか悪党どももまだ未出勤。全く平和でしたね。
ダリ美術館もありました。
丘の向こう側を降りてみました。
モンマルトルのブドウ畑
なんとぶどう畑が。
これ、「ブラタモリ」でやってましたね。丘の向こうでぶどうを育ててワインにして、モンマルトルの歓楽街で消費するとか。
ブドウ畑のそばに歴史あるキャバレー「オ・ラパン・アジル」がありました。
ゴッホやルノワール、ロートレックら芸術家のたまり場となったお店です。
へんてこなオブジェがありました。「壁抜け男」というそうです。
壁から出ようとしている男w
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
ここは有名な「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」です。
ルノワールの名画「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の舞台となったダンスホールです。
感動するな〜!
ムーラン・ルージュ
これが有名なキャバレー「ムーラン・ルージュ」です!
ロートレックの絵や、映画「フレンチ・カンカン」などでも有名ですね。
ジャン・ルノワール監督(画家のルノワールの次男)の「フレンチカンカン」はとにかく楽しい映画でした。
東欧の綺麗なお姉さんたちの、華麗なショーを楽しめます。
今回は見に行きませんでしたが、ショーも見てみたいものですねえ。
プチ・トラン(白い機関車型の車)で、ムーランルージュ前からモンマルトルまでいけるみたいです。
ブランシュ駅から再びメトロに乗ります。パリのメトロって、アールヌーヴォーっぽいデザインでいいですね。
メトロ内はジプシーの少女スリ団が出没するので、スラれないようカバンのファスナー付近はぎゅっと握っておかないと駄目ですね。
地下鉄アルマ・マルソー駅に着きました。
アルマ橋 自由の炎
この金色のオブジェは、アメリカから贈られた「自由の炎」というもの。この真下のトンネルで、1997年ダイアナ妃が事故死した場所として知られます。
チャールズ王太子殿下とは前年に離婚が成立し、ダイアナ妃はすでに民間人となっていましたが、王太子はダイアナの遺体を引き取ることを決意。セントジェームズ宮殿に運び込み、幼き王子たちと涙の対面を果たしました。
エッフェル塔はもう間近に見えます。
アルマ橋そばの「バトー・ムーシュ」を利用して、セーヌ川クルージングしてみます。
バトー・ムーシュ
さあ、出発です。
アレクサンドル3世橋が見えますねえ。ちなみに当然のように中国人は大騒ぎw
この橋は、1900年のパリ万博の時に造られたそうです。名前でわかるようにロシアからの寄贈のようですね。ロマノフ朝最後の皇帝(ツアーリ)ニコライ2世の寄贈ですね。
フランスの国民議会(下院)が見えてきました。ブルボン宮殿を下院として使用しています。
オルセー美術館です。
反対側にはルーヴル美術館があります。
さてここで異変が。本来ならシテ島まで行くはずの船が、引き返してしまいました。どうもノートルダム寺院の火災の影響で、クルージングも制限されているようです。
まだアレクサンドルまで戻ってきちゃった。
ウッデイ・アレンの「ミッドナイト・イン・パリ」のラストシーンに使われましたね。
逆にエッフェル塔方面を少しクルージングしていきます。
なんと自由の女神がありました。
ちょっと小型だけど、ニューヨークだけでなくパリにもあったのかw
もともとフランスからアメリカに贈ったものですからね。型はあるんでしょうねえ。
自由の女神をぐるっと廻って、アルマ橋に帰ります。
テレビのロケ?かな。人がぶら下がってますけど!
バトー・ムーシュ、けっこう楽しめました。