歴史と文化・巡礼の旅日記

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歌川国芳【太田記念美術館】

太田記念美術館

原宿から表参道を5分、太田記念美術館にやってきました。

没後160年・歌川国芳展を見るためです。

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歌川国芳は江戸時代末期の浮世絵師。寛政期の1798年に江戸日本橋に生まれ、幕末文久期の1861年に63歳で没しました。

15歳から画業を志し、しばらく不遇の時期を過ごしますが、30代前半で「水滸伝」がヒット。武者絵で頭角を表し、以後は名所絵、美人画、役者絵など多様なジャンルで、斬新なアイディアの作品を残しました。

 

歌川国芳「相馬の古内裏」

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これが国芳の代表作の一つ。三枚続きのワイドな画面は迫力に満ちてますね。グレイトフル・デッドのような巨大な骸骨は、解剖学的にも正確であるとか。平将門の遺児であり、天下転覆を狙う滝夜叉姫と大宅光圀の対決場面。滝夜叉姫が操る巨大骸骨が襲いかかる大迫力のシーンです。山東京伝の読本に取材しています。

 

歌川国芳「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」
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波や巨大な魚のダイナミックな表現。国芳は葛飾北斎に会ったこともあるようで、影響を受けているようです。

 

歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」
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歌川国芳「忠臣蔵十一段目夜討之図」

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赤穂浪士の討ち入りを描いたものですが、遠近法や陰影表現などに西洋絵画の影響が見られます。国芳は銅版画を入手し、蘭画をかなり研究していたようです。ヤン・ニューホフという人の絵を元にしているみたいです。

 

歌川国芳「山海愛度図会 えりをぬきたい」

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水野忠邦の天保の改革では、風紀を乱すものとして娯楽が制限を受けました。浮世絵業界も役者絵や美人画が禁止されて、大打撃を受けます。国芳はそれを痛烈に批判する風刺絵を描き、幕府のブラックリストにのってしまいますが、まもなく水野忠邦が失脚。江戸に平和が戻り、艶っぽい作品も発表出来るようになりました。

 

歌川国芳「近江の国の勇婦於兼」
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この馬の後ろ蹴りの躍動感はダヴィンチみたいですね。西洋絵画の影響をかなり強く受けている人です。

 

歌川国芳「東都名所 かすみが関」
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坂道を下から見上げた青空が印象的。比較的初期の作品ですが、型にハマらない魅力があります。

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