フィレンツェ芸術巡り⑦【バルジェロ美術館】
イタリア・フィレンツェの旅行記です。
バルジェロ美術館
バルジェロ美術館の見学に急ぎます。なぜ急ぐかというと、この美術館の閉館時間は早く午後2時まで。(ただし閉館準備で追い出しにかかりますから1時45分くらいまでしか鑑賞はできないでしょう)もう見えてきました。右側の塔がバルジェロです。
14世紀に建てられた宮殿で、かつては警察署や監獄としても使われていました。
現在は彫刻や陶器、鎧、古銭などを展示しています。ドナテッロやミケランジェロの名作などもいっぱいありますので、是非来たかった場所の一つなのです。
けっこう並んでますね!バルジェロは普段はいつも空いてるはずなんですが、イタリア文化週間で無料だからみんな見に来たのかな?
中庭です。監獄時代は、この中庭で死刑囚の処刑が行われたそうです!
中庭を囲んでロッジアにいっぱいありますね。
1556年〜1561年の作品です。
アンマナーティはバンディネッリの弟子で、シニョーリア広場のネプチューン像を引き継いだ彫刻家です。
これ乳首から噴水が出るというものですよね。
↓これもアンマナーティなんですかね?隣にあったんでとりあえず撮影してみました。
バルトロメオ・アンマナーティ「ジュノーと2匹のクジャク」
1556年〜1561年の作品です。
1560年頃の作品です。
1579年の作品です。服が透けた表現はすごい。
1572年〜1576年の作品です。
ジャンボローニャって名前からボローニャ出身のイタリア人かと思いますけど、フランドル出身なんですね。代表作のネプチューンの噴水がボローニャにあるから、またややこしい。
1553年にフィレンツェ にやってきて、トスカーナ大公家の宮廷彫刻家になってから全盛期を迎えました。マニエリスム彫刻の第一人者です。
1575年〜1580年の作品です。
ヴェッキオ宮殿の五百人広間にあったものの本物です。
ピエトロはジャンボローニャの弟子です。共作なんですね。
この人体の絡み合いのダイナミズムが、マニエリスム彫刻の第一人者たる所以です。
1560年代の作品です。
ルーヴルにもありましたね。
1561年の作品です。
若者がおっさんを制圧する、みたいに「正義の勝利」を象徴する作品が多いですね。当時の流行だったのでしょうか。
ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ「死にゆくアドニス」
16世紀中ごろの作品のようです。ロッシは「ラオコーン」の模刻を作ってますね、来日した時に見ました。
1496年〜1497年頃の作品です。いよいよ真打ち登場です。まさしく酩酊の神ですね。ちょっと千鳥足かな。
ミケランジェロ20歳そこそこの作品です。やっぱり若い頃はギリシャ・ローマ彫刻を凌駕する!っていう野心を感じさせますよね。それを実現したのがダヴィデなのです。
ミケランジェロは幼少期からフィレンツェで過ごし、13歳でドメニコ・ギルランダイオに弟子入りします。
すぐに頭角を表したミケランジェロは、ロレンツォ豪華王に認められ、メディチ邸で保護されることになります。
豪華王の死後はローマに招かれ、この作品や「ピエタ」のような傑作を生み出し、大芸術家の道を歩み始めます。
1530年頃の作品です。
かつて上野の西洋美術館にやってきた作品ですね。こんなに早く再会できるとは。
惜しいことに未完なんですよね。確かに裏側は荒削りのまま。奴隷シリーズにはこのパターンがありますね。
1527年にフィレンツェでは共和政復活の気運が高まり、メディチ家はまたも追放されました。ミケランジェロはこの時は共和派に組みして、メディチ家に対して反旗を翻しました。が、神聖ローマ皇帝を味方につけたメディチ派の巻き返しに、共和派は敗北。フィレンツェ公となって復活したメディチ家に、ミケランジェロは恭順の意を示します。 生き残るためメディチに絶対服従しなければならない時期に、制作を命じられたのがこの作品でした。
1539年の作品です。「ブルータス、お前もか」の人か。カエサルの暗殺者の一人です。
メディチ初のフィレンツェ公・アレッサンドロが殺害された時に、反メディチ派に依頼されてつくった作品です。
1505年頃の作品です。
1551年の作品です。
1530年頃の作品です。
1548年〜1565年頃の作品です。
ルネッサンスを代表する彫金・彫刻家ですが、バイセクシャルで、2度も告発されたことがあるそうです。フィレンツェは男色家が多いことで知られていたようですね。同性愛を当時は「フィレンツェの悪徳」と称したほどでした。
石の質がザラついてますが、劣化したのでなくもともと石材が悪かったらしいですね。アルノ川底の大理石をひき上げて作ったものです。
チェッリーニの最良の作品は、イタリアだけでなく海外にも存在します。一時チェッリーニはフランソワ一世に請われて、フランスで活動していたことがありました。ルーヴルにある「フォンテーヌブロー宮殿のニンフの浮き彫り」や、ウィーン美術史美術館にある「黄金の塩入れ」などはフランス時代に制作されています。
1553年頃の作品です。シニョーリア広場のロッジアにあるのはレプリカで、こちらが本物ですね。
この「ダナエと息子ペルセウス」はミケランジェロ「瀕死の奴隷」(ルーヴル美術館所蔵)の艶めかしいポーズの影響を受けているそうです。チェッリーニはミケランジェロを終生、信奉し続けました。
「メリクリウス」です。
「ミネルヴァ」です。
「ユピテル」です。
1548年の作品です。
アポロは過失によって死なせた美少年ヒュアキントスを惜しんで、彼を花として生まれ変わらせます。その花がヒヤシンス。
1548年〜1550年頃の作品です。ベースは古代ローマ彫刻のトルソーで、その不足部分をチェッリーニが加えたものです。ガニュメデスの頭部、両腕、両足、ワシの頭部、胴体、台座がチェッリーニ の手によるもの・・ってほとんど全部やん?
1545年頃の作品です。
1536年ごろの作品です。
白鳥に変身したゼウスがレダを夜這う、西洋美術の人気テーマです。
上階に向かいます。
2階にもロッジャがありますね。
1570年代の作品です。
タイトルの意味がよくわかりませんね。
この長い脚がジャンボローニャの彫刻の魅力です。
16世紀後半の作品です。
1589年の作品です。
わかりにくいですが、手に持っているのは羊の毛です。
ギリシャ神話の英雄・イアソンは魔物と闘って、金羊毛皮を手に入れる冒険譚が知られています。
人が群がっているところがありますね。
1440年代の作品。これが古代以来初の裸体彫刻像です。そして古代以来初のブロンズ製立像でもあります。
バルジェロの最大の至宝と呼ばれています。あまりの官能性から、ドナテッロの同性愛的嗜好を疑う説もあります。(証拠はない)
ミケランジェロに先駆けた全裸のダヴィデですが、ミケの方は政府依頼の公式作品なのに対して、こちらはメディチ(リッカルディ)邸内の中庭に飾られるための私的作品なので官能性を出せたのでしょうか?老コジモはドナテッロとほぼ同年代で、二人はサン・ロレンツォ教会内で並んで埋葬されています。
ダヴィデの内股に向けて伸びる、ゴリアテの兜の羽根が妖しい雰囲気を醸し出しています。
ダヴィデの「裸に帽子とブーツ」という装いはかなり倒錯的です。が、これらはいずれも「英雄ダヴィデを貶めた」という批判を予期した上のアリバイ工作だとの説があります。(例えばゴリアテの兜に羽根をつけることで、これはヘルメスだという言い逃れができる)
とにかく常に人がいるし、閉館の時間は迫るし、ピンボケするし、色々と後悔が残りました。「オレ、次にバルジェロ行ったら朝一で行って、ダヴィデを撮り直すんだ!」と死亡フラグのような決意をしました。
1408年頃の作品です。バルジェロにあるもう一つのダヴィデ。こちらは着衣で大理石です。
若き日のドナテッロはブルネレスキとともに、ローマに修行に出ています。そこで二人は古代ギリシャ・ローマの建築や彫刻の技法を手に入れ、ルネッサンスの大輪を開花させていきます。
1415年〜1417年頃の作品です。
もとはオルサンミケーレ教会外面に立っていたものが、ここバルジェロに移されました。
1450〜1455年頃の作品です。
若き苦行僧!この不安げな表情と衰弱ぶりがすごいんですよ。
1440年代の作品です。
これもバルジェロの目玉です。サンジョバンニ洗礼堂扉コンクールの出展作品で、ギベルティとブルネレスキの競作が並んでいます。
1401年の作品です。
1401年の作品です。
皆さんはどちらがお好みですか。ブルネレスキによれば、このコンクールは「両者優勝」となったが、誇り高いブルネレスキはそれを良しとせず自ら辞退したらしいです。この二人はその後もドゥオーモ のクーポラなど、幾多の制作競技で競い合う生涯のライバルとなります。
16世紀のフィレンツェの芸術家「アルペイオスとアレトューサ」
河の神・アルペイオスと美しいニンフのアレトューサ。彫刻では仲良さげですが、神話ではアレトューサはアルペイオスから逃げて、アルテミスの力によってオレトゥギア島の「アレトューサの泉」と化したそうです。
ここからジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作品です。
1520年頃の作品です。
デッラ・ロッビア家は彩色テラコッタの一族として知られます。
1520年代の作品です。
ルカ・デッラ・ロッビアが創始者として有名ですが、その甥のアンドレア、そしてアンドレアの子のジョバンニも大成しました。
1515年〜1520年頃の作品です。
彩釉テラコッタは粘土像を三度焼成して、ガラス質の釉薬で覆います。
1505〜1510年頃の作品です。
1514年頃の作品です。
1521年頃の作品です。
1520年代の作品です。
その他いろいろありました。
メディチ家のマークですね。
メドューサ。
フランス系フランドル画家「平和の寓意」
16世紀後半の作品です。
来てよかったですね。ウフィツィやアカデミアばかりがフィレンツェ芸術ではない。駆け足になったのは残念。
さていい加減お腹も空いたので、食事です。
なんか巨大なクラブサンドみたいなやつ。量が多くてなかなか食べられない。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅方面までぶらぶら散策。けっこうバイクが多いですね。
基本、みんな信号は気にしてない風でしたw 渡れる時は赤でも渡る。ヨーロッパはみんなこうですね。もっともドイツあたりはだいぶ真面目かも?(ドイツは行ったことない)
駅方面へと向かいます。目標はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。
その前に教会のそばにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局を見に行きました。
13世紀から続く世界最古の薬局だそうです。綺麗なお姉さんが出てきました。でもここの店員さんではなさそう。近くのホテルの人かな。
なんか怖かったので笑、とリあえず外観だけで中には入りませんでした。
サンタ・マリア・ノヴェッラ教会
教会に到着しました。
この美しいファサード!サンジョバンニ洗礼堂やドゥオーモのように、白と緑、ピンクの大理石によって装飾されています。幾何学的なデザインがフィレンツェ流なんですね。
教会の前は広場になっていて、みんなの憩いの場になっています。
このファサードを設計したのは、初期ルネサンスの万能の天才と言われたアルベルティです。アルベルティは遠近法を数学的に解析し、理論化しました。ダヴィンチもアルベルティを信奉していたそうです。
入場してみたいと思います。
これがチケットです。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ「十字架降下」
1572年の作品です。
1573年〜1574年頃の作品です。
1620年〜1630年頃の作品です。
作者は多分フィリッピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)です。
1569年頃の作品です。
中央礼拝堂です。
1410年〜1415年頃の作品です。
ブルネレスキは、親友のドナテッロのつくった磔刑像を酷評しました。ボロクソに言われて一時はムカついたドナテッロでしたが、数日後にブルネレスキがこの磔刑像を見せると敗北を認めたそうです。
1570年〜1572年頃の作品です。
1596年の作品です。
聖堂内から出ました。
異教徒でも、教会の荘厳な雰囲気には清らかな気持ちにさせられます。京都の寺社を訪れる外人さんも、同じような気持ちになるのかな。
教会の裏手はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅前です。
この後は、晩御飯をいただきにフードコートへ行きます。土産物屋台がすごいです。
フィレンツェ中央市場
ここの2階がフードコートになっています。
日本語が通じるお寿司屋さんもありますよ。
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅
サンタ・マリア・ノヴェッラ駅前に戻ってきました。
イタリアは以前はプラットホームに誰でも出入り自由だったらしいんですが、今はドアつけたんですね。スリどもの「仕事場」になって、観光客が大変だったんでしょう。これで少し安心して鉄道を使えるようになるんじゃないですかね?
特急っぽい。かっこいいなあ。
最終観光目標は、ミケランジェロ広場です。フィレンツェ市街を一望できることから、一大観光スポットとなっています。行き方は徒歩・タクシー・バスなどさまざま。今回はバスを利用します。まずサンタ・マリア・ノヴェッラ駅構内でバスのチケットを買います。言語で英語を選択して入れていけば、割と簡単に買えました。
1.5ユーロで90分乗り放題でした。ただバスは本数が少なく、90分で戻れる保証はないので、往復の意味で3ユーロで2枚あらかじめ買ってしまいます。バス車内で買おうとすると高くなるそうです。
このレシートみたいのがバスのチケット。これをバス車内の刻印機で検印します。(これを忘れると絶対ダメらしい。時々不定期で回ってくるチェック係に無検印というだけで、罰金50ユーロを問答無用で取られます)
特急列車の券売所かな。かっこいいですね。
さてミケランジェロ広場行きは、12番のバスになります。広場には直行せず、遠回りするので20分以上かかってしまいます。バス車内ではスリに気をつけましょう。フィレンツェは比較的治安いいから、つい油断してしまいます。
刻印機あったで。
ミケランジェロ広場
広がる絶景!
サンタ・クローチェ教会ですね。今回は行けなかったけど。ガリレオ、ミケランジェロ、マキャベリなどが眠る聖地です。
ドゥオーモはやはりフィレンツェの象徴です。
ヴェッキオ橋です。
山の斜面にも家があるんですね。長崎みたいだ。
3体目のダヴィデさんと会えました。足元のはメディチ家礼拝堂の四体ですね。
さすが観光名所で、人がいっぱいになってきました。
いい感じに夕暮れてきましたよ。
帰りもバスを使いました。夜のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会もいい感じです。