ローマ歴史巡り②【水道橋、ヴィッラ・アドリアーナ、教会巡り】
イタリア・ローマの旅行記です。
クラウディア水道遺跡
水道遺跡にやってきました。
ローマの水道橋の歴史は古く、紀元前4世紀から造られていたそうです。
この水道橋はクラウデイア水道橋といい、紀元38年に皇帝カリギュラによって建設が命じられ、14年かかって皇帝クラウディウスが完成させたそうです。6本の水道が左から右へ流れます。
恋をしていたのは去年の夏の頃さ
いつまでもこの胸に
ohクラウディア、覚えてる
途切れ途切れにしか残ってませんが、全長69キロあったそうです。ローマ人のインフラ構築能力、恐るべしです。
右にはローマ、パラティーノの丘へと流れていきます。
土管みたいなのは16世紀頃のものらしいですね。
その上に古代の水道が流れます。
動力を一切使わず、高低差だけで水を運んでいたんですね。ブラタモリでやってました。
この辺はほとんど野原ですね。公園とは名ばかりで、人影も少ない。夜遅くなったら怖そうですので、行くなら昼間が良さそうです。
さてお昼ご飯です。
キノコのリゾット。ちょっと固目のお米です。味はしょっぱい!
イタリアも稲作するんですよね。そういえば昔「にがい米」(1949)というイタリア映画がありました。圧倒的に豊満なシルヴァーナ・マンガーノは「原爆女優」の異名をとりました。
チキンのカジャトーラです。これも味が濃かった。パンと一緒に食べることを想定しているから味が濃い。
スイーツで締めです。
ヴィッラ・アドリアーナ
さて次はローマ市街から約30キロも移動して、ティヴォリというところに行きました。ここは古代ローマの時代から保養地として知られる場所です。
世界遺産ヴィッラ・アドリアーナにやってきました。
ここはローマ帝国の五賢帝の一人・ハドリアヌス帝の別荘として、紀元130年に完成しました。21年もの歳月をかけて建造した、いわば「小都市」と言えます。
ハドリアヌスは帝国領土を巡察した時に、各地で美しい建物や風景を見て心を打たれました。そしてそれらを再現しようと、この別荘を造ったのです。
この辺は山の斜面にへばりつくように建物がありますね
これが模型によるヴィッラ・アドリアーナの全体像です。
さあ、見学していきます。
樹木が円柱型に整えられています。
ポイキレです。変な名前だけどギリシャ語で「彩色回廊」という意味です。
池の周りには屋根付きの彩色回廊があったらしい。模型でみるとよくわかる。
皇帝への来客が通る道です。
これはローマ時代の道路が、そのまんまの状態で残ってます。
アッピア街道はデコボコになってましたが、ここは綺麗に平坦状態で残ってるんです。
大浴場です。
漫画の「テルマエ・ロマエ」はハドリアヌス帝の時代のローマが舞台で、この別荘も描かれています。
ハドリアヌス帝は、紀元76年生まれ。ローマ帝国の最大版図を成し遂げたトラヤヌス帝の右腕として頭角を現し、紀元117年に即位します。
ハドリアヌスは領土拡張路線から現実路線へと転換。東方属州を放棄し、国境の安定化を図りました。
またブリタニア(大ブリテン島)に「ハドリアヌスの長城」を建造させ、国境防衛を固めました。この長城は後にスコットランドとイングランドの境目となりました。
ローマ市内に今日も残るパンテオン神殿を再建したり、法制度も整備したり業績は数知れず。
その一方で、元老院の政敵四人をまとめて暗殺したり、ユダヤ人の反乱に苛烈な弾圧を加えたりするなど、冷酷な面もありました。
それにしても大浴場の屋根が落ちずに持ってるのがすごいね。
カノプスです。
ここはナイル川をイメージしてつくった美しい池です。
ハドリアヌス帝が帝国内の長期巡察で得たイメージが、この池にいかされています。
ナイル川に執着したわけは、エジプト巡察中に事故死した愛人のアンティノウスの記憶があったためと思われます。
愛人と言っても男性。死亡した当時まだ10代の美青年です。
この美しい青年の死を皇帝は嘆き悲しみ、神格化して各地に像や神殿を建造させます。
ナイル川沿いにはアンティノオポリスという街を作ったほどでした。アンティノウスはキリスト教公認以前の、最後の偉大な信仰対象になったと言われます。
円柱や彫刻は一部復元されてます。
細長い池の奥にはエジプト風神殿が見えます。
ワニくんもいます。アンティノウスはワニに食われた説?もあります。
ホスピターリアです。その名の通り客人のもてなしに使われたお部屋みたい。
モザイクが高級な感じですね。
島のヴィッラ(海の劇場)です。
円形の建物の周りを池が囲んで、とても美しい。
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会
ホテルまで戻ってきたのは夕方5時半くらいで、まだ少し時間があります。で、テルミニ駅周辺の教会巡りをしていこうと思いました。
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会にやってきました。17世紀初頭にボルゲーゼ枢機卿の依頼で、カルロ・マデルノによって建てられた教会です。
ヨーロッパ全土を戦火の渦に巻き込んだ30年戦争の時代の1620年のこと。ボヘミア(チェコ)戦線で、カトリック勢はプロテスタント勢に圧勝しました。
この「白山の戦い」を記念して奉納されたのがこの教会です。ヴィットリアは「勝利」を意味します。
まるで爆発するかのように輝くのは中央祭壇です。
ジョバンニ・ドメニコ・チェッリーニ「堕天使の落下」
クーポラを飾るフレスコ画です。
ジョバンニ・ドメニコ・チェッリーニ「異教徒に勝利する聖母マリア」
素晴らしい天井画。マリアの威光に異教徒どもは粉砕されます。
この教会の見ものは、なんと言ってもコルナロ礼拝堂。バロックの巨人・ベルニーニが設計し、制作した礼拝堂です。中央祭壇の左側にあります。
ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「聖テレザの法悦」
人気映画「天使と悪魔」に登場したため、観光客も増えているようですね。
16世紀スペインの実在の聖女テレザが、天使に槍で心臓を突かれている様子。テレザが夢で体験した宗教の恍惚感を、まるで演劇を見るかのように表現したベルニーニ最盛期の作品です。
上から照らす明かりは照明でなく、自然光らしいです。
オペラを観るように、恍惚の聖テレザを鑑賞しているのはコルナロ家の人々。ベルニーニのパトロンでもありました。
ドメニコ・グイディ「聖ヨセフの夢」
聖テレジアの反対側の彫刻です。
ドメニキーノ「聖母子と聖フランチェスコ」
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会
共和国広場の前のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会にやってきました。
一見廃墟ですが、3〜4世紀頃の浴場跡地をリサイクルして教会にしたのです。設計はミケランジェロ。
入り口の扉はポーランドの彫刻家のイゴール・ミトライの作品です。
受胎告知がテーマ。
反対側の扉はイエスさんですね。
十字架で罪を背負いながらも力強い肉体。キリストの復活を意味しています。
入り口側の礼拝堂には、人間の頭部の彫刻が!
イゴール・ミトライ「洗礼者ヨハネの頭部」
日暮れ直前の暗い教会も味がある。
古代文明への敬愛が深いミケランジェロならではの、オリジナル(古代浴場跡)を生かした設計になっています。
共和国広場
サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の前には、共和国広場が広がります。
別名エセドラ広場といいます。広場の中心の噴水は「ナイアディの噴水」といいます。
ギリシャ神話の四人の妖精が水を噴き上げます。
マリオ・ルテッリが1901年に完成させました。
けっこうすごい勢い。飛び散ってきましたよ。
「ローマの休日」でアン王女が最初にたどり着いたのはこの広場でした。
車やバスのロータリーとして使われています。