歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

パリ芸術巡り②【ヴェルサイユ宮殿⑴】

f:id:mejirorock:20210325195535j:plain

パリ郊外・世界遺産のヴェルサイユ宮殿に行ってみます。パリから電車で1時間以内に行けるので、人気観光スポットでもあります。幾多の歴史の舞台となった場でもあります。

 

パリ・シティヴィジョン社

ヴェルサイユは電車でも行けますが、今回はバスツアーを利用しました。

パリシティヴィジョン社の前には、なぜかジャンヌ・ダルクの像が立ってました。

薬師丸ひろ子の歌でも有名な馬上の美少女。英仏百年戦争のヒロインです。

ヴェルサイユ宮殿

バスに揺られること小一時間。夢の宮殿に到着。

団体入り口付近ですけど、結構な混雑ぶりです。この巨大な宮殿を年間770万人が訪れます。

これが団体入り口ですね。ここでセキュリティチェックを行います。

右側が王室の礼拝堂ですが、工事中のようで残念ながら入場できませんでした。

この礼拝堂を作ったのが、「太陽王」ルイ14世です。絶対王政を行い、ヴェルサイユ宮殿を巨万の富と、50年もの時間を使って作り上げました。2階に上がります。

王の正殿を通っていきます。ここも7つの部屋があります。

ヘラクレスの間

「ヘラクレスの間」にはかつて礼拝堂があったそうです。

天井にフランソワ・ルモワンヌ作の「ヘラクレスの栄光」があります。

壁画はパオロ・ヴェロネーゼ「パリサイ人シモン家の宴」です。

豊穣の間

「豊穣の間」は緑の壁紙が美しい。

ヴィーナスの間

真ん中の白い像は、ルイ14世の彫像です。

天井にはヴィーナスがいました。これがこの部屋の由来となったんですね。

ディアナの間

真ん中は、バロックの大家・べルニーニ作のルイ14世の胸像です。

みんなビリアードとかやって遊ぶ娯楽室として使われたそうですね。

確かにディアナの絵があります。

マルスの間

メルクリウスの間

儀式用の寝室で、ルイ14世が逝去した際に遺体が安置された場所でもあります。

見事な細工の「からくり時計」がありますね。

正午になると、時計の中からルイ14世人形がでてくる仕組みになっています。ただし混乱を避けるため、普段は稼働してません。これはテレビのヴェルサイユ宮殿特集からのキャプです。

アポロンの間

こここそが「太陽王の部屋」です。

63歳の太陽王を描いた有名な肖像画です。イアサント・リゴー作です。

天井にはもちろん太陽神・アポロンが天を翔ける姿が描かれます。

反対側にはフランス革命に散った悲劇の王・ルイ16世の肖像画も見られます。

戦争の間

これはコワズヴォー作「敵を踏みしだく馬上のルイ14世」ですね。

当時宮殿は服装さえきちんとしていれば、庶民でも外国人でも誰でも入館できました。生涯に数多くの戦争をやったルイ14世は、自らの威厳を示すために無慈悲な絶対的強者の姿を造らせたんですね。(しかし典型的な「戦争好きの戦争下手」でけっこう負けてる)

鏡の回廊

次はいよいよ見せ場です。「鏡の回廊」です。長さ73メートルあります。

ここで外国大使が謁見したり、舞踏会が開かれたりしたのです。

壁一面には鏡が張られ、絢爛豪華です。鏡は当時はヴェネチアでしか作れない貴重品だったのです。

反対側の窓は、鏡とシンメトリーになっています。庭園も見えますねえ。

ここで普仏戦争の後、ドイツ帝国の成立が宣言され、その報復の意味も込めて、1919年第一次世界大戦の対ドイツ講和条約である「ヴェルサイユ条約」の調印が行われました。

1871年普仏戦争に勝利したプロイセンは、全ドイツを統一した「ドイツ帝国」を建国する。プロイセンのヴィルヘルム一世が初代ドイツ皇帝に即位した。ドイツ皇帝の即位式をヴェルサイユ宮殿で行ったのだ。

閣議の間

鏡の回廊の隣には「閣議の間」があります。

ここで国王は木曜を除く毎日、午前11時から1時まで政治決定を行ったのです。

↓この机で対独ヴェルサイユ条約が調印されたそうですよ。

1919年第一次世界大戦に勝利した連合国は、敗戦国ドイツに天文学的な賠償金を課し、遺恨を残した。ここヴェルサイユ宮殿で調印式が行われた。

王の寝室

なんと王は朝起きてから夜寝るまで、すべての生活を公開していました。王には羞恥心はありませんでした。

寝台の前の柵が境界になっていて、柵の向こうには側近が群がって、陳情などを行えました。100人以上の視線の中で、王は食事をし、おまるで用を足し、陳情を聞きました。

寝室の隣の部屋には大きな絵が架けられていますね。

ジャン・ノクレ「1670年、神話の登場人物に扮装したルイ14世一家」だそうです。

さてこの後「王妃の寝室」に入場することができました。ここ2年ほど修築のため、非公開になっていたのですが、ちょうどリニューアルオープンし始めたところだそうです。

王妃の大居室

王妃マリー・アントワネットが使用した寝室です。

しかしフランス王家にプライバシーは存在せず、出産すら公開の場で行われていました。(赤子のすり替えを防ぐため)

オーストリア出身のマリー・アントワネットはフランス流の生活に馴染めず、離宮に引きこもるようになっていきます。

大会食の間

遠くに見えるのは、女流画家ヴィジェ・ルブランによる王妃一家の肖像です。

エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「王妃と子どもたち」

右端の長男は早逝。アントワネットに抱かれた次男ルイ・シャルルは最も不幸な最期を辿ります。(革命勢力により監禁。動物以下の待遇で放置され、虐待死)王妃マリー・アントワネットは断頭台で斬首とされる。左端の長女マリー・テレーズは捕虜交換でオーストリアに渡り、のちにルイ・アントワーヌ王太子妃となります。この中で天寿を全うしたのはマリー・テレーズだけでした。

戴冠の間

ここはまさにナポレオン・ルームみたいな部屋です。

ダヴィッド「ナポレオンの戴冠式」の、本人による複製画があります。

ダヴィッドは政治プロパガンダの傑作を多く残しました。フランス革命においてジャコバン派に属し、ルイ16世の処刑の賛成票を投じた、根っからの共和主義者。そのわりに帝政をしいたナポレオンに心酔し、このような大作(高さ6メートル、幅10メートル)を描いてしまう。単に権力闘争が好きだったのかもしれません。

この作品は、1804年にノートルダム大聖堂で行われたナポレオンと皇妃ジョゼフィーヌの戴冠式を描いています。今まさにナポレオンがジョゼフィーヌに冠を授けようとしています。ジョゼフィーヌは若く美しく描かれていますが、実際は40過ぎていました。

観覧席の中央に座るのは、ナポレオンの母のマリア・レティツィア。この人物はすごい猛母で、実際には戴冠式を欠席しています。ナポレオンが皇位につくことに反対だったと言われます。

ナポレオンの背後で座っているのはローマ教皇。画面右端の赤い服が外相・タレーランで、この数年後ナポレオンを見限って「ウィーン会議」に参加します。

この作品を初めて見たとき、ナポレオンはしばしじっと見つめた後、ダビィッドに向かって直立して礼をしたと言われます。

宮殿の見学は以上で終了です。

いったん中庭にでます。

アントワネットのバルコニー

宮殿中庭に「アントワネットのバルコニー」がありました!

フランス革命の際、パンを求める8千人の群衆がヴェルサイユに押しかけました。そして群衆は王妃マリー・アントワネットが姿をあらわすよう求めたのでした。

アントワネットは贅沢三昧のイメージが定着し、「赤字夫人」と呼ばれて、民衆の憎悪の対象となっていたのです。アントワネットは、天を仰ぎ、自らを捧げる犠牲のようにバルコニーに姿を現しました。

ベルばらの名場面w アニメのキャプ画像です。

アントワネットは群衆に一礼をし、群衆は王妃の気高さに一瞬言葉を失ったという。(本当かどうかはわからない)

この後、王家一家はヴェルサイユからパリに連れ去られ、二度と宮殿に戻ることはありませんでした。

 申し訳ありませんが、クリックで応援お願いします! にほんブログ村 旅行ブログへ