サンクトペテルブルグ芸術巡り②【エルミタージュ美術館⑴】
ロシアのサンクトペテルブルグにやってきました。
エルミタージュ美術館
さあ、いよいよエルミタージュ美術館に入館していきます。
エルミタージュ美術館は、巨大な宮殿です。主に4つの建物から成り立っています。
左から、エルミタージュ劇場 –〜旧エルミタージュ〜小エルミタージュ〜冬宮殿 (新エルミタージュは旧エルミタージュの背後にある。)
収蔵美術品の数・300万点、展示室の全長20キロにも及び、「世界三大美術館」の一つに数えられます。ルーヴルとエルミタージュ、メトロポリタン、プラドなどのこと。3つじゃないじゃん。
もともとはピョートル大帝の時代に、冬宮(とうきゅう)が作られました。
冬宮とはその名のごとくロシア皇帝(ツァーリ)が冬に過ごす宮殿のこと。エリザヴェータ女帝の時代に、ラストレッリの設計により現在の冬宮の建設が始まっています。何度か改築され、現在の冬宮は19世紀につくられたものです。
アレクサンドルの円柱です。
ナポレオン戦争の勝利を記念して、1834年に宮殿広場の中央に建てられました。支えなしで自重のみで立っているそうです。
旧参謀本部です。1827年に建てられ、現在も軍の関係省庁が入居しています。
アーチ門の上には女神ニケがいます。
18世紀ロシアに君臨した女帝・エカテリーナ2世はドイツ生まれで、野暮ったいロシア芸術に飽き足らず、密かに西欧から美術品をコレクションしていました。
これらを陳列・保管するためつくられたのが、小エルミタージュ、旧エルミタージュでした。
エルミタージュとは「隠れ家」の意味です。当初はエカテリーナの私的なコレクションでした。帝政末期から一般公開されるようになり、革命を経て現在の姿になりました。
これがチケットです。
冬宮殿から入館します。
ロシアでは必ず上着をクロークに預けます。
まずは素晴らしい宮殿装飾を楽しみます。
大使の階段(ヨルダン階段)
エルミタージュの正面階段である「大使の階段(ヨルダン階段)」です。
まさしくロシア・バロックを象徴する華やかさです。
ピョートル大帝の間(小玉座の間)
ロシアの国父・ピョートル大帝の栄誉を讃えるために造られた部屋です。
ピョートル大帝はロシア帝国の中興の祖にして、最大のカリスマです。2メートル近い体躯を持ち、英明でもありました。
正面に掲げられた絵は「ピョートル大帝とミネルヴァ」で大帝と女神が並んで描かれています。
ロシア皇帝の肖像画回廊
ピョートル大帝(1672〜1725)
ピョートル大帝はロシアの近代化のため、西欧の社会制度、科学、文化を吸収する使節団を派遣します。大帝のすごいところはその使節団に自分も加わってしまうこと。しかもアムステルダムの造船所では、平民の大工に変装して、自ら技術を学ぼうとしています。(バレバレであった)
そして帰国した大帝が行ったのは、ネヴァ川の湿地帯のど田舎に、ヨーロッパ風の美しい都をつくることでした。そうして出来上がったのが、サンクトペテルブルグです。10年の歳月をかけて、ロマノフ王朝の首都を築き上げました。
エリザベータ女帝(1709〜1762)
ピョートル大帝の娘です。七年戦争の時にオーストリアの女帝マリア・テレジア、フランスの寵妃ポンパドール夫人とともに、プロイセンのフリードリヒ大王を倒す寸前まで行きました。これは女傑三人が組んだ戦いのため、「ペチコート作戦」と呼ばれました。
しかしエリザヴェータ自身の死により、この包囲網は終わりを告げました。
エカテリーナ二世(1729〜1796)
ドイツの貴族出身でロマノフ家の血は一滴も流れていませんが、姑のエリザヴェータの心を掴み、軍部も掌握。夫であり政敵でもあったヒョードル三世をクーデターで廃し、女帝となります。即位後は大幅に領土を拡大し、ピョートル大帝に劣らぬ名声をえました。
アレクサンドル一世(1777〜1825)
ナポレオン戦争に勝利した時の皇帝です。ただし爪は甘く、余裕こいてナポレオンに寛大な措置を施したところ、ウィーン会議の最中にナポレオンはエルバ島から脱出。復位に成功してしまいます。その結果アレクサンドルは、ウィーン会議での求心力を失ってしまいました。
ニコライ二世(1868〜1918)
ロマノフ朝最後の皇帝で、ロシア革命により殺害されたニコライ二世です。来日時も暗殺されそうになってます(大津事件)。家族を大事にするマイホームパパだったんですが、皇帝には向いてなかったんでしょうね。
オルロフ伯爵(1734〜1783)
女帝エカテリーナ二世は、生涯に多くの愛人を持ったことで知られます。オルロフ伯爵はエカテリーナの最初の愛人です。そしてエカテリーナのクーデターに協力し、前帝ヒョードルを暗殺したと言われます。のちにエカテリーナに飽きられ捨てられそうになって、有名な巨大ダイヤモンドを贈りました。それはクレムリンで見ることが出来ます。
ポチョムキン公爵(1739〜1791)
ポチョムキンはエカテリーナの生涯のお気に入りでした。エカテリーナとは秘密結婚をしたと言われます。
紋章の間
ここは「紋章の間」です。
ブロンズ製のシャンデリアがすごく巨大です。ここでは銀器が展示されています。
1812年祖国戦争の画廊
ここは「1812年祖国戦争の画廊」です。これはナポレオン戦争のこと。
ナポレオンに土をつけた名将クトゥーゾフ将軍が中心ですね。
クトゥーゾフはボロジノでの死闘の後に、撤退戦を行い、モスクワまでも放棄して、ナポレオン大陸軍(グランダルメ)をロシアの懐深く侵入させました。そして「冬将軍」の到来を待って、撤退するナポレオン軍を追撃。打ち破ることに成功した知将です。総勢61万のフランス軍で、生き残れたのは何とわずか5000名でした。
のちに第二次大戦のドイツ軍も、似たパターンで敗れることになります。
当時のロシア皇帝・アレクサンドル1世です。
アレクサンドル一世は、クトゥーゾフ将軍とは相性が悪かったそうです。が、クトゥーゾフ以外にナポレオンと対抗できる人材はおらず、気に入らないけど任せざるをえなかったようです。
この部屋には300人もの将軍の肖像画が掲げられています。
聖ゲオルギー(大玉座)の間
歴代皇帝の謁見の間で、正面にロマノフ王朝の紋章、双頭の鷲が描かれています。
ここで各国の大使は、ロシア皇帝に謁見したんですね。
パヴィリオンの間
ここは小エルミタージュですね。エカテリーナ2世の愛人、ポチョムキン公爵が暮らしていた部屋です。
孔雀のカラクリ時計です。
モニターがあって、孔雀が動くところを見ることができます。
床は八角形のモザイクがはめ込まれています。
パヴィリオンの間から見た、空中庭園です。
「ニコライ二世」の書斎
最後の皇帝「ニコライ二世」の書斎です。
黄金の客間
皇帝アレクサンドル二世の妃マリアの居間です。
孔雀石の間
深い緑色の柱が孔雀石(マラカイト)です。
なんかやたら人が多いけど。この胸像の位置に、テロに遭難したアレクサンドル二世が運ばれてきました。
そして皇帝はここで息を引き取ったのです。