歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

広島県 呉市巡り③【大和ミュージアム】

いよいよ呉市観光の目玉「大和ミュージアム」に来ました。

 

大和ミュージアム

 
まず屋外展示にビビる!戦艦陸奥の主錨です。
戦艦陸奥の41センチ主砲の砲身です!
陸奥の艦尾フェアリーダー。
陸奥のスクリュープロペラ。
陸奥の主舵。
その巨大さに圧倒されます。戦前の日本はとんでもない工業力ですよ。やはり皮肉なことですが、科学技術を最も進歩させるのは軍需なんですよね。
陸奥は柱島付近で謎の爆沈事故を起こし、戦う以前に沈んでしまったのでした。
「事故」でなく「事件」ではないか、と推論したのが吉村昭の名著「陸奥爆沈」でした。
 
ジャンボローニャのネプチューン像を見ながら入館していきます。

戦艦大和(10分の1)

なんといってもこれ!10分の1の戦艦大和ですよ!
10分の1って言っても、元が全長263メートルもありますからね!
2階や3階からも撮りまくります。
対空戦を意識して機銃もすごかったんですが。
菊の紋章が神々しいです。
「大和、あれは漢(おとこ)の船じゃ」というようなセリフが、最初のテレビ版「宇宙戦艦ヤマト」に出てて、しびれた記憶がありますね。
今のリメイク「宇宙戦艦ヤマト」も最初は注目してたんですが、女キャラがやたら増えてて「漢の船じゃなかったのかよ!」と失望してフォローするのをやめてしまったw
軍艦旗がはためきます。
これが史上最大46センチ主砲の弾丸です!
左から46センチ九一式徹甲弾。
真ん中の赤いのは46センチ三式焼霰弾。
右は46センチ九一式徹甲弾の弾体。
 
 
大和型戦艦が主砲を撃つ際には、警報を鳴らして総員を艦内に退避させなければ撃てなかったそうですね。爆風の破壊力は、艦上の全ての生物を即死させるようなものだったそうです。↓大和型二番艦「武蔵」の主砲発射
何しろ大和型の主砲は、だいたいマラソンの距離ぐらい届いたらしいから。42キロ先ぐらいまでいったそうです。
 
真ん中は戦艦長門で使われた41センチ九一式徹甲弾です。

零式艦上戦闘機62型

大和以外にもゼロ戦こと「零式艦上戦闘機62型」もありました。
大東亜戦争序盤は、無敵を誇った戦闘機です。
そのうえ中国戦線で実戦経験を積んだベテランパイロットが、超絶技術で挑んでくるんですから。実戦をしてないアメリカ軍では勝てなかったわけです。
しかしアメリカ軍は、無傷の零戦の鹵獲に成功。研究を重ね技術革新を遂げていきます。またアメリカでは戦前から自動車の大量生産のシステムが出来上がっており、積極的に民需を軍需に転用していきます。やがて日本軍を物量ともに爆発的に上回る兵器・技術で追い詰めていきます。
次第に劣勢となった日本軍は、1944年以降「神風特攻」と言われる体当たり作戦を敢行していくことになります。

回天

人間魚雷こと「回天」の試作型です。
回天は人間が魚雷を操縦し、自ら体当たりするという特攻兵器で、1型だけが実戦投入されました。100名以上の若者たちが戦没しています。この試作型は本土決戦用に開発されていました。
 
特殊潜航艇「海龍」です。本土決戦用の特攻兵器ですね。
世界初の有翼潜行艇です。
魚雷を発射した後に、自らも体当たりする特攻兵器でした。
戦艦金剛のボイラーです。イギリスからの輸入でした。ヤーロー缶というタイプだそうです。
だから「艦これ」で金剛は、英国からの帰国子女という設定だったか。
ホッチキス速射砲身ですね。日露戦争の頃に戦艦三笠か何かにつまれていたようです。
ホッチキス(オチキス)はフランスの軍需メーカーです。「文具のホッチキスと関係がある」というのは俗説らしいですね。
 
これは泣ける展示です。第六潜水艇の佐久間勉艇長です。
1910年4月15日、第六潜水艇が遭難し、乗組員14人が殉職しました。訓練中の事故でした。引き揚げられた後、乗組員が出口を争う悲惨な姿で死亡していることが予想されていましたが、驚くべきことにハッチを開けると、乗組員14人のうち12人はきちんと所定の配置についたまま息絶えていました。また所定の位置にいなかった2人は、破損箇所で死んでおり、明らかに最後まで修理にあたっていたのです。
 
そして有名な佐久間勉艇長の遺書です。
小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り、沈着に事を処せり、我れ等は国家のため職に倒れ死といえども、ただただ遺憾とする所は、天下の士はこの誤りをもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを憂うるにあり
 
事故原因の分析や潜水艇の将来、さらに乗組員の遺族までを慮ったこの遺書は、国内外の海軍関係者のみならず、多くの人の心を揺さぶりました。
ハワイ作戦の司令官・南雲中将の短剣です。空前絶後の作戦を成功させながらも、「第三次攻撃を行わなかった」とか「ミッドウェイで負けた」とか、批判されることが多くてちょっと同情しています。
これが空母赤城だ!
開戦当時、赤城や加賀には世界最高の技術を持つパイロットが乗り組んでいました。
もんぺ、タスキ、千人針、これらが銃後の支えでした。
「千人針」なんて、女性たちが心を込めて一針一針縫ってくれたものだから兵士たちはみんな大事にしていたそうですよ。(伊藤桂一著「 若き世代に語る日中戦争」による)

 

 

ミュージアムショップも色々売ってた。

空母赤城の模型、買ってしまったよ!
見どころたっぷりでした!
 申し訳ありませんが、クリックで応援お願いします! にほんブログ村 旅行ブログへ