歴史と文化・巡礼の旅日記

歴史と文化を訪ねる紀行ブログです。

ローマ芸術巡り⑤【カピトリーノ美術館】

イタリアのローマ旅行記です。

 

 

カンピドーリオ広場

カンピドーリオ広場にやってきました。

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カピトリーノの丘は古代ローマの時代には神殿が置かれ、ローマの中心でした。古代ローマには七つの丘があって、その中でも重要な丘みたいですね。英語のキャピトルの語源になったとか。ローマ帝国の衰亡と共に廃墟と化しましたが、中世以降に復興。そして現在の広場は、ローマ法王パウロ三世の命を受けて、ミケランジェロによって設計されました。

 

カストルとポルックスの双子神の巨像

緩やかな階段を上がっていくと、広場の入り口には双子神の巨像があります。

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ゼウスが白鳥に化けて、レダという娘と交わって生まれた双子の兄弟。ゼウスによって最後は双子座の星座とされました。

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広場の正面にはローマ市庁舎がそびえます。古代の建物を市庁舎として、12世紀以来使い続けています。現存世界最古の市庁舎です。

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マルクス・アウレリウス帝の騎馬像(複製)

広場の中央にはマルクス・アウレリウス帝の騎馬像のレプリカです。台座はミケランジェロによるものです。

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もともとオリジナルをここに置いていたのですが、大気汚染のため美術館内に移動しました。

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カピトリーノ美術館

市庁舎を正面に、広場の左右にカピトリーノ美術館があります。市庁舎に向かって右側が旧館(コンセルヴァトーリ宮)で、こちらが入り口になります。ここでチケットも買えます。16ユーロでした。けっこう入場料が高いから、ローマパスを使う時には、ここを初回の美術館として選ぶといいかも(ローマパスでは初回美術館無料。2館目以降は割引)

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マルクス・アウレリウス帝の騎馬像の本物も、カピトリーノ美術館にあります。カピトリーノ美術館に入館してみたいと思います。

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コンセルヴァトーリ宮博物館

旧館2階(イタリアでは1F)はコンセルヴァトーリ宮博物館といって、彫刻などの展示があります。ここはグレート・ホールという最も大きなホールです。

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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「教皇ウルバヌス八世の像」

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17世紀の教皇で、この像はベルニーニとその弟子の作品です。

 

アレッサンドロ・アルガルディ「教皇インノケンティウス十世の像」

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アルガルディは、バロック時代にベルニーニのライバルとなった大彫刻家です。

 

ここはお隣のキャプテンの部屋です。

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カピトリーノの雌狼です。

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有名なローマ建国神話が題材ですね。雌オオカミに育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスが、ローマを建国したという伝説から。

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これらは15世紀のブロンズ像です。かつては狼像は紀元前6〜5世紀に作られ、赤子が15世紀に付け加えられた、という説が定説でした。

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「雌狼に育てられる子」はローマのシンボルマークになっており、街を飾る装飾、ローマ市警のマーク、サッカーチーム「ASローマ」のマークなど、あらゆるものに使われています。

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「エフェソスのアルテミスの像」

紀元前2世紀のもののローマン・コピーらしいです。たくさんの乳房は豊穣のしるしです。

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ここは美しい礼拝堂です。正面の絵はマルチェッロ・ヴェヌスティ「Madonna in gloria con i SS. Pietro e Paolo」です。

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美しい天井装飾はミケーレ・アルベルティ、Jacopo Rocchettiの手によるもの。

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↓17世紀のイタリアの画家による「聖エウスタキウス」らしい。

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「エスクイリーノのヴィーナス像」

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紀元前1世紀頃の作品で、モデルはクレオパトラじゃないかという説もあります。

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これも数多いカピトリーノの至宝の一つです。

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「ヘラクレスの化身としてのコンモドゥスの胸像」

マルクス・アウレリス帝の実子で、帝位継承後は暴君となったコンモドゥス帝です。在位180年〜192年です。周囲の要人を粛清し尽くした後は、あまり政治に関心を示さぬようになって剣術に没頭。自らを「ヘラクレスの化身」として、本当に狼の毛皮を身に纏うようになります。闘技場でも腕前を奮い、民衆には大変人気がありました。

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しかしコンモドゥスは元老院と対立し、最後は暗殺されてしまいます。

 

「トリトンまたはケンタウロスのトルソー」

左右二体、コンモドゥスに従います。

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「ディオニュソスのトルソー」

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戦車の上で横たわっている姿を描いているのではないかとおもわれます。

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自然光が採光される「マルクス・アウレリウスのエセドラ」という空間です。(16室)

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「ブロンズ製のコンスタンティヌス大帝の頭部」

すごい大きさと迫力でした。

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4世紀の作品です。324年、コンスタンティヌス一世は、多くの僭帝が乱立して内乱状態にあったローマ帝国を再統一。そして帝国の首都をローマからビザンティウムに遷都し、自らの名前に因んだコンスタンティノープル(現在のイスタンブール)に改称しました。

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また「ミラノ勅令」によって、初めてキリスト教を公認して世界の歴史を大転換させました。その功績の大きさから、彼は帝国史上唯一「大帝」と呼ばれることになります。

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「マルクス・アウレリウスの騎馬像」

その名の通り、広場にあった「マルクス・アウレリウスの騎馬像」の本物があります。

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マルクス・アウレリウス・アントニヌスはローマ五賢帝の一人。在位161年〜180年です。ストア派哲学に深く影響され、敬虔で禁欲的な皇帝でした。生涯学問を好み、「哲人皇帝」と呼ばれました。

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その治世は決して穏やかなものでなく、パルティアやゲルマンどもとの戦争に明け暮れ、感染症の蔓延にも苦しみました。そして戦争中にあっさり病没してしまいます。

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彼は日々の悩みや考えを書き溜めた備忘録を残しており、それは後世「自省録」として世界中で読み継がれることになります。

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「馬を攻撃するライオンの像」

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これもすごい迫力です。ミケランジェロの弟子らによって、ライオンの後ろ足、馬の頭部や脚、尾が付け加えられています。

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「女神の像」

オリジナルは紀元前4世紀に遡る像のようです。

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「女性の像」

紀元前4世紀にアテネの彫刻家ケフィソドトスによって造られた「アルテミス像」のコピーと考えられています。

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「カリュドーンの猪狩りの石棺」

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女神アルテミスによって放たれた巨大な猪を、ギリシャの勇士たちが退治するシーンのレリーフです。

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「ニンフまたはアフロディーテ」

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オリジナルは紀元前2世紀ごろのものだそうです。

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「優雅な装いの女性像」

紀元前2世紀のギリシャ彫刻に遡ると考えられています。

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「アマゾンの頭部」

オリジナルは紀元前440〜430年ごろ、小アジアのエフェソスで行われた「芸術コンテスト」のためにブロンズで鋳造されたものらしい。

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「踊るマイナス(女性信者)」

マイナスとは、バッカス神を称え、狂乱状態で躍りまくる女性信者の像のようです。現代語のマニアの語源になった言葉だとか。紀元前407年ごろ、エウリピデスによって書かれた悲劇「バッコスの信女」によるものだそうです。

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「マルシュアス」

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ギリシャ神話でアポロに敗れ、皮剥ぎされて命を失ったサテュロスです。

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いつもながら哀れな姿。オリジナルは紀元前2世紀ごろのギリシャ彫刻です。

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「戦車の御者の像」

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馬と御者は19世紀に別々の場所で発掘されたものを組み合わせたみたいです。

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「Herm of a Caryatid」

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カリアティードとは古代ギリシャに始まる柱の装飾です。女性の立像が柱の役目を果たします。

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「ミューズの像」

紀元前5世紀半ばの彫刻のローマンコピーのようです。

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「戦うヘラクレス」

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紀元前4世紀後半の彫刻のローマンコピーのようです。

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「ヒュギエイアの像」

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ヒュギエイアはギリシャ神話の健康の神様です。オリジナルは紀元前290年のギリシャ彫刻のようです。

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「エロスまたはタナトスの像」

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「ヘラクレス像」

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紀元前2世紀のブロンズ像です。これもカピトリーノを代表する作品です。

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この像の背後は古代ローマ神殿の基礎部分です。

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「Statue of a Genius with a Cornucopia 」

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1世紀のドミティアヌス帝の時代のもののようです。

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「戯れる二人の少女の群像」

紀元前4世紀後半のギリシャ彫刻がオリジナルのようです。

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「エロスのレリーフ」

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屋上テラスからはローマの街並みが展望できます。

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カフェもあるので一休みもできます。

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カピトリーノ絵画館

引き続いて3階です。3階は16〜18世紀の絵画を中心に展示されています。「カピトリーノ絵画館」と言われます。

 

ポンぺオ・バトーニ「聖家族」

1760年ごろの作品です。

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アンソニー・ヴァン・ダイク「彫刻家たち」

1627年から1629年ごろの作品です。

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ディエゴ・ヴェラスケス「自画像」

1649年から1651年ごろの作品です。

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ジョヴァンニ・フランチェスコ・ロマネッリ「ダヴィデ」

1640年ごろの作品です。

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ピエトロ・ダ・コルトーナ「聖母子と天使たち」

1625年から1630年ごろの作品です。

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ジョヴァンニ・ロマネッリ「聖チェチリア」

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大きな部屋に入ってきました。

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ドメニキーノ「クーマのシビッラ」

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グエルチーノ「ペルシャのシビッラ」

1647年の作品です。

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グエルチーノ「オッタヴィアーノとクレオパトラ」

1640年の作品です。

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フランチェスコ・アルバーニ「聖母子と二天使」

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カラヴァッジョ「女占い師」

1596年ごろの作品です。ルーヴルにも同じテーマの作品がありますね。こすい女にいいところの坊やが手玉に取られるというテーマです。

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グエルチーノ「埋葬され天に昇る聖ペトラニア」

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この部屋の中央正面にある大作です。

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グイド・レーニ「聖セバスティアーノ」

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三島由紀夫の「仮面の告白」で描写された作品です。聖セバスティアーノは3世紀末、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教弾圧のなかで殉教し、聖人となりました。

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グイド・レーニ「悔悛のマグダラのマリア」

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グイド・レーニ「幼きキリストと聖ジョヴァンニーノ」

1640年〜1642年ごろの作品です。

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カルロ・マラッタ「ユディト」

グイド・レーニの模写のようです。

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グイド・レーニ「クレオパトラ」

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グイド・レーニ「ルクレツィア」

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グイド・レーニ「至福の神髄」

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グイド・レーニ「若い女性」

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ドメニキーノの追随者の「聖バルバラ」

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16世紀作者不詳「ユディト」

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ガロファロの工房「聖セバスティアーノ」

1510年ごろの作品です。

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オルトラーノ「聖セバスティアーノ」

1520年ごろの作品です。セバスティアーノの絵はやたら多かったですね。

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ガロファロ「受胎告知」

1528年の作品です。

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16世紀のエミリアの無名画家の「人物の寓意」

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ドメニコ・ティントレット「悔悛するマグダラのマリア」

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ドメニコ・ティントレット「鞭打ち」

1590年の作品です。

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タブラリウム

次は新宮(パラッツォ・ヌオーヴォ)に移動していきたいと思います。旧館から新館に移動するには地下通路を使います。タブラリウムとは古代ローマの公文書館のことらしいですね。紀元前78年につくられたそうです。

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市庁舎タブラリウムのテラスから「フォロ・ロマーノ」が一望できます。

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セヴェルスの凱旋門が見えます。

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こっちはサトゥルヌスの神殿かな。

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これは絶景ですね。

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新宮(パラッツォ・ヌオーヴォ)

「マルフォーリオ(物言う像)」

中庭にある像です。

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政府に対する庶民の告発文がこの像に貼られていたらしい。

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日本で言えば落書の批判?または目安箱みたいなもんでしょうか?

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「Satiro Della Valle」

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サテュロスの像が二体並んでいます。

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「ミネルヴァ像」

紀元前2世紀の作品。この像はかつては市庁舎前階段中央に置かれていたそうです。

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新宮には古代彫刻がいっぱい展示されています。

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「カピトリーニのアンティノウス」

ティヴォリのハドリアヌス帝の別荘から発掘。アンティノウスはハドリアヌス帝の男娼でした。

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「休息するサテュロス」

古代ギリシャの彫刻家プラクシテレスがオリジナルとされますが、コピーの中ではカピトリーノのものが最も有名なものらしいです。

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「瀕死のガリア人」

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紀元前3世紀頃のローマン・コピーですね。ガリアとは現在のフランス。

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これもカピトリーノを代表する作品の一つです。

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「傷ついたアマゾンの像」

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「クピドとプシュケの像」

紀元前2世紀のギリシャのオリジナルです。

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「Faun in rouge antique marble」

2世紀の作品らしい。ハドリアヌスの別荘から出土。

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「狩人の像」

紀元3世紀半ばごろの作品です。

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「Statue of Pothos restored as Apollo Citharoedus」

紀元前4世紀の古代ギリシャ彫刻家スコパス作の「ポトス像」がオリジナル。それをキタラというハープを弾くアポロの像として魔改造したものです。

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「カピトリーノのヴィーナス」

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これも至宝の一つ。この恥じらうヴィーナスだけで、一室が与えられています。

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ギリシアのプラクシテレスの「クニドスのアフロディテ」の模刻らしいです。

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鼻の修正はちょっと変じゃない?

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紀元前2世紀の模刻で、発見されたのは17世紀です。

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どの構図から見ても美しい作品です。

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「Torso of Discobolus restored as wounded warrior」

古代ギリシャの彫刻家ミュロンの円盤投げを元にしたトルソーが、オリジナルの部分です。それを元に17世紀後半から18世紀のフランス人彫刻家ピエール=エティエンヌ・モンノーが修復しました。

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「Statue of Hercules restored as killing the Hydra of Lerna」

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17世紀にアレッサンドロ・アルガルディによって修復されたものらしいです。

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「鳩のモザイク」

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ハドリアヌス帝の別荘、ヴィッラ・アドリアーノにあったそうです。2世紀の作品です。

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「劇場用マスクのモザイク」

もう一つありました。これも2世紀の作品です。

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「ピュロスとしても知られるマルスの巨像」

紀元1世紀後半の作品。ピュロスは古代エジプトのエピロス王で、戦の達人として知られるそうです。

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「アキレスの生涯を描いた石棺」

紀元3世紀の制作だそうです。

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古代彫刻からバロック絵画までさんざん堪能しました。

 

翌日またこの前を通りかかったんですが、何かデモをやってました。

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市庁舎への抗議活動かな。

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よくわからんが、とにかくがんばれ。

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ローマ芸術巡り④【システィーナ礼拝堂、サン・ピエトロ大聖堂】

イタリア・ローマの旅行記です。

システィーナ礼拝堂

ヴァチカン美術館を見学して、最後に最大の山場を迎えます。

f:id:mejirorock:20211213121947j:plainそれはもちろんシスティーナ礼拝堂。

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ミケランジェロらの名画に囲まれた永遠の聖地です。1477年から1480年にかけて教皇シクストゥス四世の命令で建てられました。システィーナの名も教皇の名に因んでいます。

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システィーナ礼拝堂はローマ教皇を選出する選挙(コンクラーヴェ)が行われる場所としても知られています。コンクラーヴェの時は世界中から枢機卿がここに集まり、礼拝堂には鍵がかけられます。

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残念ながら内部は撮影禁止なので、目に焼き付けておきます。システィーナ礼拝堂は1980年から20年かけて日本テレビの資金提供による大修復を行っており、日テレが色々権利を持ってるそうなんです。その関係で撮影はダメらしい。日本人が絡むと何でも撮影禁止になるんですね。知らないで撮影してると、「NoPhoto!」とか注意されるみたい。20メートルの天井画があるので、双眼鏡がある人は持っていくと細かなところも見れるかも。礼拝堂内部や絵画の写真はwikipediaからの引用画像です。

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wikiからの引用

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/6b/Sistine_Chapel_North_and_East_Walls.jpg

 

ミケランジェロの「天井画」

ミケランジェロが描いた天井画から見ていきます。ローマ教皇ユリウス二世の注文で、1508年から1512年にかけて描かれました。旧約聖書をテーマにしています。

 

ミケランジェロ「光と闇の分離」

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この世の始まりです。「天地創造」の1日目に描かれた光と闇の分離を描いています。神は光を昼とし、闇を夜としました。

 

ミケランジェロ「大地と水の分離」

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「天地創造」の2日目。神は大空をつくって、空の上と下にある水を区別しました。

 

ミケランジェロ「太陽、月、植物の創造」

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「天地創造」の4日目に描かれた太陽と月の創造を描いています。右側の神は、右手で太陽を、左手で月を創造しています。左側は神が飛び去るところ。1枚の絵で時間の経過を表しているのです。

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ミケランジェロ「アダムの創造」

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天地創造の6日目に神が最初の人間・アダムに命を与えたところ。指と指のタッチは、映画「ET」にも引用された場面で、この天井画の中でも最も有名な場面です。

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ミケランジェロ「イヴの創造」

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アダムはエデンの園で何不自由ない生活を送っていましたが、楽園の動物たちはすべてつがいなのに、自分だけは「ぼっち」であったことが不満でした。神はアダムの願いを聞き入れ、アダムを眠らせた隙にあばら骨を1本取り出し、その骨で女性をつくったのです。その女性の名をイブ(エヴァ)といいます。

 

ミケランジェロ「原罪と楽園追放」

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左側はアダムとイブが、上半身が女の蛇(実はサタンの化身)にそそのかされ「禁断の知恵の実」を受け取ろうとするところ。右側は、神の言いつけをやぶったことにより「原罪」を背負った二人が楽園を追放されているところです。天使によって剣で追い立てられている二人の表情はけわしい。恥じらいを感じ、身体を隠すようになってしまってます。

 

ミケランジェロ「大洪水」

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神は地上に増え始めた人間が悪を行なっているのを見て心を痛め、大洪水で滅ぼそうと考えました。一番奥の教会みたいなのが、ノアの箱舟っぽい。この絵では人々が水に飲み込まれている場面でなく、山に這い登って助かろうとあがく姿を描いています。

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一部、漆喰ごと剥落した部分がありますね。18世紀に近隣の火薬庫が爆発した衝撃で、落下してしまったそうです。

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ミケランジェロ「ノアの燔祭」

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洪水が引いた後に、ノアが神への感謝の印として生贄を捧げている場面です。生贄の羊と牛が描かれていますね。生贄を押さえつけているのは、ノアの三人の息子です。

 

ミケランジェロ「ノアの泥酔」

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寝ているじいさんはノア。葡萄酒を飲みすぎて裸で眠ってしまいました。よくある酔っ払い。それを見て指差してわらっているのがノアの三男・ハムです。長男のセムと次男のヤフェトは心配してマントをかぶせようとしています。目覚めてから事の顛末を知って、怒ったノアは三男・ハムに「お前は子孫とともに呪われるがいい」と呪いをかけました。果たしてノアの子孫は、過酷な運命を生きることになるヘブライ(ユダヤ)人となりました。ここも剥落してますね。

 

これら中央部分を囲むように預言者や巫女12名の人物像が描かれています。

ミケランジェロ「預言者ヨナ」

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紀元前8世紀のユダ王国の預言者ヨナは、「神を信じないアッシリアの民を改心させよ」という神の命を「できっこないっす」と言って逃亡しました。神は激怒し、ヨナの乗った船を沈め、ヨナは魚に飲み込まれます。確かにヨナの横に大きな魚がいますね!魚の胃袋の中で反省したヨナは、アッシリアに赴き、人々の説得に成功しました。この大魚に飲み込まれるという展開は、「ピノキオ」に引用されています。

 

ミケランジェロ「デルフォイの巫女」

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最も美しく描かれた女性は、アポロン神殿でアポロンの神託を告げる巫女です。デルフォイの巫女の神託を聞くために、ギリシャ全土から人が集まったと言われます。

 

ミケランジェロ「エリュトイアの巫女」

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この巫女はミケランジェロ風マッスル美女に描かれてますね。女性を描くときでも男性モデルをつかっていたといいます。

 

ミケランジェロ「イニューディ」

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天井画のうち、5つの小画面の四隅を支える者としてミケランジェロが描いた20名の筋肉質の男性裸体像のうち、最も有名な男性像です。

 

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ミケランジェロは「自分は彫刻家だ」という自負があり、この仕事に乗り気ではなかったようです。独裁者ユリウス二世に命じられてしぶしぶ・・といった感じだったらしいですね。事実、一度仕事を放棄して脱走しています。四年にも及んだ作業をほぼ独力で行ったミケランジェロでしたが、苦痛に充ちた作業でした。20メートルの天井近くまで足場を組んで、立ったままのけぞるような姿勢で描いていたとか。絵の具は顔面に垂れるわ、腰は痛いわ、想像を絶しますね。見てるだけでも首が痛くなってきて、改めてミケランジェロの超人ぶりを実感しました。

 

壁面画

次は壁面画です。南北の壁面画は1481年から1482年にかけてシクストゥス四世の命で、フィレンツェの画家によって描かれています。南壁面には、旧約聖書に登場するヘブライ人の預言者・モーゼの物語が描かれています。

ボッティチェッリとその工房「モーゼの試練」

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古代エジプトではヘブライ人は奴隷にされて苦しんでいました。オレンジと緑の衣装の人は全てモーゼ。

「同胞のためにヘブライ人を虐待したエジプト人を殺す」

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「ミディアンという牧草地に逃亡する」

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「悪い羊飼いたちを追放する」

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「娘らの羊に井戸から汲んだ水を飲ませる」この娘たち、実にボッティチェリっぽいですね。

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「神の声を聞いてモーゼが靴を脱ぐ」

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「神の前にひざまずく」

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「神の声を聞いて、ヘブライの民を率いてエジプトを脱出する」というシーンが描かれます。モーゼ、大忙しだ。

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ペルジーノ「モーゼのエジプトへの旅」

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左側はエジプトに向かって歩き始めるモーゼ一行。モーゼの持つ杖が指導者となったことを意味しています。中央ではなぜか天使がモーゼの前に立ちふさがります。この天使は神とヘブライ人の契約の印として、モーゼの息子に割礼を施すように命じています。

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右側はモーゼの妻ジッポラが息子に割礼を施して、モーゼの命が助かる場面です。

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アレッサンドロ・ボッティチェリ「反逆者たちの懲罰」

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右側ではエジプトからの移民の反逆者たちが、モーゼに石を投げつけようとしています。この連中はモーゼだけが神に愛されてると嫉妬したんですね。それを後継者となるヨショアが必死に守ろうとします。

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左側では大地が裂け、反逆者たちがそこへ沈んでいく場面が描かれています。信ずる者の足の下には雲が浮かび、救われています。

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中央部分ではモーゼと、教皇の王冠をかぶった司祭のアロンによって追い払われる反逆者たちが描かれています。反逆者たちは見えない火で焼かれるように苦しんでいます。

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真ん中にはコンスタンティヌス帝の凱旋門が描かれていますね。コンスタンティヌスは初めてキリスト教を公認したローマ皇帝でした。

 

シニョレッリ「モーゼの遺言と死」

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右手前で杖を持ちながら聖なる書物を読み上げるのが120歳となったモーゼ。

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中央の裸の男は色々解釈があるようで、決定的なものは定まってないとか?

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左手前ではモーゼが後継者のヨショアに杖を渡し、後事を託している。

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中央奥はモーゼが神の導きで登山し、下山する姿。

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左奥はモーゼの臨終の場面。

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北祭壇では新約聖書の世界が描かれています。

ペルジーノとその弟子「キリストの洗礼」

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中央にはヨルダン川で洗礼者ヨハネによるイエス・キリストの洗礼が描かれている。イエスはこの時、30歳。洗礼者ヨハネはいわばキリストの先駆者のような存在でした。すると頭上に神が現れ、聖霊の鳩をつかわします。左側にも説教するヨハネ。右側には説教するイエスがえがかれている。豪華な衣装を着た人物たちは、おそらく実在の人物たちで、教会への寄進者たちと思われます。

 

ドメニコ・ギルランダイオ「最初の使徒たちのお召し」

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キリストが布教活動を開始、ガリラヤ湖畔で最初の弟子ペテロとアンデレを召し抱える場面です。黄金の服を着てるのがペテロです。奥ではイエスに従って漁師だったペテロとアンデレが漁をする様子が描かれます。イエスの言うとおりするとなぜか大漁。

 

アレッサンドロ・ボッティチェリ「キリストの三つの誘惑」

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洗礼を受けた後のキリストは荒野に赴き、40日間の断食生活に入りました。そのキリストをサタンが誘惑し、堕落させようとします。左奥が第一の誘惑で、「神の子なら、石をパンに変えてみせよ」とそそのかします。

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真ん中奥は第二の誘惑。サタンが「神の子なら、ここから飛び降りてみせよ」とそそのかす。

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右奥は第三の誘惑で、「私にひれ伏すならこの世の栄華をすべて与えよう」と誘惑する。そのすべてをイエスは論破しました。

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手前中央ではユダヤ教の儀式が行われているところです。モーゼの時代に定められた清めの儀式らしいです。中央で薪を運ぶ女性の隣にいる赤い枢機卿は、後のユリウス二世です。彼こそが、ミケランジェロにシスティーナ礼拝堂天井画を描かせた教皇です。

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コジモ・ロッセリ、ピエロ・デ・コジモ「山上の説教」

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山から下りたイエスは有名な「山上の垂訓」を説きます。「汝の敵を愛せよ」とか「右の頬を打たれたら左の頬も差し出さない」とか有名な言葉ですね。右手前では不治とされた癩病患者を癒すイエスの奇跡が描かれます。

 

ペルジーノ「ペテロに天国の鍵を渡すキリスト」

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ペテロの信仰告白の名場面です。背後の建物はコンクラーベ(教皇選挙)が行われる場所。ペテロはイエスに「あなたは神の子。メシアです」と告げると、イエスはペテロをほめ、天国の鍵を授けました。この鍵が絵画でペテロを見分ける目印になります。

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ちなみに前列左から四番目の財布を持った男がユダです。

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また前列右から五番目のカメラ目線の男が、作者のペルジーノ自身です。

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右後方ではユダヤ教パルサイ派の人々がイエスに投石し、迫害を始めています。

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コジモ・ロッセリ「最後の晩餐」

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レオナルドの決定作が出るまでは、「最後の晩餐」と言えばこの構図が定番だったようです。つまり一人ユダだけが反対側に座る構図。ユダの背中にはサタンが見えます。

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背後の窓にはこれからイエスがたどる運命が描かれます。一番左は「オリーブ山の祈り」で、イエスが神に苦悩を訴える話です。ただイエスが帰ってくると、弟子たちは呑気に爆睡していて落胆するという場面。

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中央はユダがイエスに接吻する場面です。接吻した人がイエスであるという合図で、これによってローマ兵たちがイエスを捕縛します。手前では弟子のペテロが敵の耳を斬り落としています。

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一番右は、イエスが鞭打ちされて、荊の冠を被せられ、ゴルゴダの丘で磔にされています。イエスは全人類の原罪を背負い、生贄となったのです。

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ミケランジェロ「最後の審判」

主祭壇背後の壁にミケランジェロ「最後の審判」があります。この大作はローマ教皇クレメンス七世と、後継のローマ教皇パウルス三世の命で、1533年から1541年にかけて描かれました。折りしもルターによる宗教改革の吹き荒れた時代。この作品はプロテスタントへのカウンターとして、バチカンの渾身の一撃となりました。

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この絵は400名以上の人物が描かれている大作です。中央では再臨したイエス・キリストが死者に裁きを下しており、向かって左側には天国へと昇天していく人々が、右側には地獄へと堕ちていく人々が描写されています。

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キリスト様はやたらマッチョですね。ラオコーンを意識していると言われます。キリストの隣には聖母もいます。ペテロやパウロたち聖人たちは雲の上に描かれますね。

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世界の終わりの時に、天使たちが吹くラッパで、人々は生き返ります。そしてキリストの審判によって、天国に行ける人と地獄に落ちる人が選り分けられるのです。

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救われる人々は画面の左側を上っていきます。

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また、キリストの右下には自身の生皮を持つ聖バルトロマイが描かれているが、この生皮はミケランジェロの自画像とされます。6年の歳月をかけた超大作にさしものミケランジェロ(当時60代)も精魂尽き果て、聖バルトロマイのような抜け殻になってしまったのでしょうか。

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画面の右側を落ちていく人々を待つのは、恐ろしい地獄絵図。

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このロバの耳で蛇が巻き付いてるおっさんは地獄の裁判官。ロバは愚か者の代名詞だし、巻き付いた蛇は男の局部に噛み付いています。この男にはモデルがいて、バチカンの儀典長でした。儀典長はミケランジェロの芸術を理解せず、「裸体像は下品だ」と批判しました。怒ったミケランジェロに報復として、嫌な役を割り当てられてしまったという話でした。

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儀典長は「あまりに酷い」と、教皇パウルス三世に抗議したのですが、教皇には「地獄はワシの管轄外だから」と冗談混じりに受け流されてしまったそうです。

 

システィーナ礼拝堂を有り難く堪能させていただきました。ちなみに↓の画像は「大塚国際美術館」のシスティーナ・ホールです。

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海外に出るのが難しい時期は大塚国際で堪能するのもいいかもです。

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ちなみにかつてシスティーナ礼拝堂壁画は長年の煤の影響で色褪せ、ほとんどモノクロームのようになっていました。また後世の修復によって、ミケランジェロのオリジナル部分が改変されたりもしていました。「最後の審判」のオリジナルではもともと人物は全裸で描かれていましたが、地獄の儀典長のように異論を唱える者がいて、人物に腰布が描き加えられたりしていたのです。

そこで1980年から地元修復チームと日本テレビによって修復作業が開始され、天井画は1989年に、そして1999年にすべてのフレスコ画が修復され、見事にルネッサンスの色彩が復活したのでした。また腰布問題では、1500年代にダニエレ・ヴォルテッラら弟子に描き加えられたものは歴史的価値を尊重して残しましたが、1800年代にさらに加えられた腰布については消されることになりました。地獄の儀典長の局部に蛇が噛みついていることも、実はこの時に明らかになったのです。

 

サン・ピエトロ大聖堂

世界最小の国・バチカン市国南東端にあるカトリックの総本山です。

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サン・ピエトロ大聖堂はもともと使徒ペテロが磔刑に処されたとされる場所に建てられました。ペテロの墓所を祀る聖堂とされ、キリスト教の教会建築としては世界最大級の大きさを誇ります。

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高さ約120m、最大幅約156m、長さ211.5m。

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創建は四世紀で、現在の聖堂は二代目にあたり、1626年に完成したものです。

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さっそく入場していきます。身廊の長さは約186mもあります。宗教施設のため、ノースリーブなど肌の露出した服装だと入場を断られる場合があります。

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ここは見どころたくさんです。まずカーテンの向こうはミケランジェロ「ピエタ像」です。

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ミケランジェロ「ピエタ像」

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イエスの亡骸を抱く聖母の像です。このマリアは少女のような愛らしい顔で純潔さを表現しています。作者は20代の若きミケランジェロ。天才の出現を知らしめた記念碑的作品です。

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「聖ペテロ像」

聖ペテロはキリストの一番弟子で、初代ローマ教皇とされる人物です。足に触るとご利益があるようで、両足ともかなりすり減っているみたいですね。

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見上げるとミケランジェロ設計のクーポラがあります。

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高さは約138mクーポラの中心部には、天使に囲まれた神の姿が描かれています。「最後の審判」をつくり上げた70代のミケランジェロに、またしても大仕事が舞い込んできました。それがこの大聖堂の設計でした。ミケランジェロは最後の力を振り絞って、この大事業に打ち込みます。しかしこのクーポラが完成したのは、ミケランジェロの死後、30年あまり経ってからでした。

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ベルニーニ「大天蓋」

クーポラの真下には、ベルニーニ作のブロンズの大天蓋があります。

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ブロンズ製の4本の柱は、ねじれるようにからみつくデザインです。天蓋の真下には、聖ペテロの墓があります。

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聖堂の一番奥の「後陣」の中央に、ベルニーニが装飾をした「聖ペテロの椅子」があります。教皇だけが腰掛けることができる聖なる椅子だそうです。

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ラファエロ「キリストの変容」(複製)

オリジナルはヴァチカン美術館のピナコテーカにあります。

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ラファエロ、ミケランジェロ、ベルニーニ・・・ルネッサンスからバロックまで天才たちの総力を結集して造られた美の殿堂がバチカンなのです。

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ベルニーニ「教皇アレクサンデル七世の墓碑」

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ベルニーニの晩年のパトロンとなった教皇でした。

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アレッサンドロ・アルガルディ「レオ十一世の墓碑」

メディチ家から選出された教皇ですが、教皇となって一月足らずで死去してしまいました。教皇の選出要素として、高齢や健康問題を抱えていて長期政権にならない人の方が選ばれやすいそうですが、ちょっと短すぎですね。

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さまざまな聖人像があることからも、カトリックの多神教的性格がよく分かりますね。本来、多神教文明のローマ帝国や北方に布教するために、自然と多神教化していったのでしょうか。

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クーポラ

この後、クーポラに登りたいと思います。クーポラの入口は大聖堂の右横にあります。緑の案内図に従っていけば分かります。

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エレベーターで途中まで行くことができます。エレベーターと階段では入場料が違います。

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エレベーター付で10ユーロでした。

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ただしエレベーターの場合でも途中のテラスまでしか行ってくれないので、残り320段の階段を上がらないといけないのですが。ここがテラスでクーポラが見えます。

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聖堂内部がよく見えます。

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クーポラ内部もよく見えます。実に美しい。

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モザイクも間近で見れました。

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なんか可愛げない子だね笑

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29メートルの大天蓋を見下ろせます。

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さあ登っていきます。ここから92メートル登ることになります。

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着きました!

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サン・ピエトロ広場です。ベルニーニの設計です。

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この美しい光景を見ないとヴァチカンに来たって感じがしませんね。

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見下ろすと高所恐怖症としてはちょっと怖いけど。ヴァチカン庭園の「教皇の紋章」が見えますね。

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サンタンジェロ城とテヴェレ川が見えます。

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左手がヴァチカン美術館です。

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システィーナ礼拝堂の外観は地味ですね。

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上りと下りの階段は別でした。

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サン・ピエトロ広場

 これがサン・ピエトロ大聖堂の外観です。

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ファサードにはキリストと洗礼者ヨハネ、ペトロ以外の11人の使徒の像が並んでいます。

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サン・ピエトロ大聖堂の正面にはサン・ピエトロ広場が広がります。幅240メートルもある巨大な楕円形の広場です。

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コンクラーベで新しいローマ教皇が選出された際には、ファサード中央のバルコニーで発表されます。

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聖ペテロの像です。

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バチカン名物スイス人傭兵を見れました!スイスさん、なんか笑顔ですね。「ぷっ、あいつったらあの時・・」とか思い出し笑いしてる感じ?バチカン兵は身長174cm以上、独身の男性という条件があるそうです。

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サン・ピエトロ広場はジャン・ロレンツォ・ベルニーニの設計により、1656〜67年に建設されました。

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20万人も集まれるそうです。

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これは1世紀にエジプトから贈られたオベリスクです。当時はネロ皇帝の競技場に置かれ、ペテロが磔刑に処された時に現場に存在していたと言われます。

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広場はドーリア式円柱と140体の聖人像に囲まれています。

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ローマ芸術巡り③【ヴァチカン美術館】

イタリア・ローマの旅行記です。

 

今日はいよいよヴァチカン市国を観光していきます。72時間パスをゲット。これで地下鉄バスは乗り放題です。

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大分治安が良くなったとはいえ、ローマではスリには気をつけましょう。混んだ電車は基本スルーして、空いてる電車に乗るとよいそうです。乗ったら車両のつなぎ目あたりにいるか、または座るかが安全です。カバンは斜めがけで、体の前にまわしてファスナーのところを押さえると安心ですね。

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スリにあった人の体験談を読んでみると、「ファスナーのないバッグで満員電車に乗った」とか「バッグを脇に置いて、一瞬、目を離した」などの甘い人、スキを見せた人がほとんど。ヨーロッパでは、アフリカや南米のように強盗・強奪などの凶悪犯罪は少ないですが、スリは実に多い。でも所詮はコソ泥なので、するべき対策をきちんとしてれば、基本は大丈夫のはずなのです。

 

Ottaviano駅

地下鉄最寄り駅のOttaviano駅に到着しました。

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ヴァチカンの外壁が見えてきました。ここから中が世界最小ヴァチカン市国です。

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すごく並んでます!

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この行列を避けるためにも予約は必須ですね。予定が決まり次第、早めにHPで予約しないと思うような時間では取れないかも。

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ヴァチカン美術館

ヴァチカン美術館を見学していきます!

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ちなみにここは出口です。

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出口の彫刻は左の人はミケランジェロ、真ん中の交差した鍵はローマ教皇庁の紋章、右の人はラファエロです。

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入り口は↓こちらです。

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すごい混雑ぶり。とにかく団体さんが世界中から押し寄せているのです。

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ヴァチカン美術館(博物館)と言っても、25もの美術館(博物館)があり、その総称です。これが予約の紙と引き換えにもらえるチケット。ヴァチカンの象徴「アテネの学堂」です。

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日本語のオーディオ・ガイドも借りられるようです。あまり大したものでないという噂ですが。

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階段を上がって、右に行くと「ピナコテーカ」。左に行くと「キアラモンティ美術館」や「ピオ・クレメンティーノ美術館」があります。

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全長7Kmの広大さの上に複雑な動線。これを移動していくために、看板表示が役に立ちます。

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絵画館(ピナコテーカ)

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ピナコテーカに入るとすぐにあるのが、「ミケランジェロのピエタ像のレプリカ」です。

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本物はサン・ピエトロ大聖堂にありますけど、ここまで接近できないですから。

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聖母の衣服にミケランジェロのサインが刻まれています。

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当時はミケランジェロも20代。まだ知名度もそれ程では無く、「ピエタ」にサインをしておかないと他の奴に手柄を奪われる危険を感じていました。

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ニセピエタのすぐそばにショップもあります。

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ヴァチカン土産も買いました。来日もしたローマ教皇。

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さあ、作品を見ていきます。


ジョットとその弟子による「ステファネスキの祭壇画」

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1330年代に描かれています。枢機卿カエターニ・ステファネスキの依頼で制作されたものです。

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こちら側には聖人ペテロの磔刑が描かれます。

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こちら側では聖パウロの斬首。

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フィリッポ・リッピ「聖母の戴冠と天使、聖人達、寄進者」 

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メロッツォ・ダ・フォルリ「奏楽の天使、ケルビム、使徒たちの頭部」

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1480年頃の作品です。ローマの聖アポストリ教会が再建される際、後陣の祭壇壁画として描かれていたフレスコ画の断片です。

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使徒や天使たちが描かれます。

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しかし欠落部分が多く、現在のものは全体の10%にも満たないものであるとか。

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この「リュートを奏でる天使」が有名ですね。

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メロッツォ・ダ・フォルリ「バルトロメオ・プラティーナにヴァティカン図書館長を任命するシクストゥス4世」

1477年の作品です。このメンバーはシクストゥス4世はじめ、多くは反メディチ家のメンバー。ロレンツォ豪華王を暗殺しようとした「パッツィ事件」に加担します。ちなみに右から3番目の赤い服が、後のユリウス2世。左から2番目の青い服がジローラモ・リアーリオ伯爵で、事件の黒幕の一人と言われます。

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ルーカス・クラーナハ「ピエタ」

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ピナコテーカの最大の見所は第8室のラファエロです。

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ラファエロ「キリストの変容」

1508年〜1520年の作品です。ジュリオ・デ・メディチ枢機卿(後のクレメンス七世)の依頼によりつくられました。

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光に包まれ昇天していくキリスト。それを取り囲む預言者エリヤ、モーゼら。下の層ではキリストの奇跡により、悪霊に取り憑かれた若者が救われていきます。

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この作品が完成した年、ラファエロはわずか37歳で早逝。絶筆となりました。

 

ラファエロ「フォリーニョの聖母」

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1512年の作品です。フォリーニョは、イタリア中部のペルージャにある街です。この右下の赤い服のおっさん(枢機卿)の出身地らしい。

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第9室にダヴィンチの「聖ヒエロニムス」があるはずなんですけど貸し出し中のようでした。


 ティツィアーノ・ヴェッチェッリオ「フラーリの聖母」

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1520〜1525年頃の作品です。下界の聖人たちを天上から見守る聖母子の図です。

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パオロ・ヴェロネーゼ「聖女ヘレナの幻想」

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1560年頃の作品です。キリスト教を初めて認めたコンスタンティヌス帝の母・聖ヘレナが天使が現れる夢を見る場面です。

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第12室には必見のカラヴァッジョ「キリスト降架」があります。

1602〜1604年の作品です。コロナさえなければ2020年に来日予定でした。

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これがカラヴァッジョの最高傑作とも言われる作品。この絵は元々、ローマのサンタマリア・イン・ヴァリチェッラ教会(キエーザ・ヌオーヴァ)の礼拝堂に飾られていました。

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その後、一旦はナポレオンの接収にあい、ルーヴルに奪われました。ナポレオン失脚後に返還されましたが、なぜかキエーザ・ヌオーヴァでなく、ヴァチカンに返還されてしまい、現在に至ります。

 

グイド・レーニ「聖ピエトロの逆さ磔」

1604〜1605年の作品です。カラヴァッジョかと思ったら違った!

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グイド・レーニによる、カラヴァッジョ様式の完コピです。あまりに作風が似ているため、血の気の多いカラヴァッジョは激怒し、レーニと危うく決闘になるところだったとか。

 

グイド・レーニ派画家「運命の女神とキューピッド」

1623年ごろの作品です。

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ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「天使」

1650〜60年代の作品です。

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サンタンジェロ橋用の試作品かな?わからんけど。

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ピーニャの中庭

ピーニャの中庭に出てきました。

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ここでグループ参加の人は、システィーナ礼拝堂の絵画の説明を受けます。

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システィーナ礼拝堂内での撮影やガイドは禁止されてるので、事前にここで解説しちゃうんですね。

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ピーニャとはそもそも松ぼっくりの意味らしい。ローマでは豊穣を意味するシンボルのようです。

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もともと紀元前1世紀のブロンズ製で、ローマの旧市街地に置かれ、松ぼっくりの天辺から水が出ていたようです。

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初代ローマ皇帝・アウグストゥスの巨大な頭部です。

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キアラモンティ美術館

ここはキアラモンティ美術館です。古代彫刻の立ち並ぶ姿は、まさに壮麗です。

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19世紀初頭のローマ教皇・ピウス七世が収集した古代彫刻と模刻の約1000体が陳列されています。

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ピウス七世は多くの人が目にしたことがあると思います。ダヴィッドの「ナポレオンの戴冠」の絵の中で、ナポレオンの背後で渋い顔をしているローマ教皇です。

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「ナポレオンの戴冠」(wikiより)

1797年のトレンティーノ条約により、ローマ教皇が所蔵する傑作の数々がナポレオン支配下のフランスに接収されました。

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しかしナポレオン没落後の1815年、接収された作品のほとんどは取り戻され、新たな美術館に展示されることになりました。それがこのキアラモンティ美術館なのです。

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陳列は彫刻奪還にも奔走したアントニオ・カノーヴァが行いました。現在もその配列は維持されています。

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新回廊(ブラッチョ・ヌオーヴォ)

次は新回廊に入って行きます。

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プリマ・ポルタのアウグストゥス帝

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初代ローマ皇帝・アウグストゥス死後の紀元前14年に、妃のリヴィアがつくらせたものと考えられています。

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19世紀にリヴィアの別荘跡で発見されました。

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この新回廊も、ピウス七世がナポレオンから奪還した彫刻の展示のために創設したものです。

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アスリート

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アテナ・ジュスティニアニ

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傷ついたアマゾンの女戦士像

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ナイル川の彫刻群

1世紀の彫刻です。

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1513年にサンタマリア・ソプラ・ミネルヴァ教会そばで発掘されました。

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ナイル川を寝そべった老人の姿で擬人化しています。

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赤ちゃんたちはナイルの賜物を意味してるとか。

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ちょっとしたミニ階段を上がります。

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ピオ・クレメンティーノ美術館

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ここはシモネッティ設計の「八角形の中庭(ベルヴェデーレの中庭)」です。この中庭を囲むようにたくさんの彫刻が飾られています。

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16世紀初頭のユリウス二世の時代に、この庭に古代彫刻コレクションが設置されました。

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ちなみに当初は正方形の庭園でした。八角形となったのは、18世紀後半のシモネッティによる改装の時です。八角形は永遠を意味する縁起のよい数字なのです。

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ラオコーン像

これがヴァチカンの至宝・古代彫刻「ラオコーン像」です。

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この作品は紀元前40〜30年頃の作品である、とする見方が優勢。1506年にローマのエスクイリーノの丘で発見され、古代の著述家プリニウスが記すところの「ラオコーン像」であると断定されました。

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この世紀の発見は衝撃をもって迎えられました。ローマ教皇・ユリウス二世によって、この作品はただちに購入され、ベルヴェデーレの中庭に置かれました。この肉体美は、発掘にも立ちあったミケランジェロに大きな影響を与えました。

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発掘された時は何箇所か破損していたようで、想像復元されています。右手も一時は復元されていたらしいですが、今は外されていますね。

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トロイア戦争神話で、トロイアの神官・ラオコーンは敵(ギリシャ)の木馬を町に入れることを警戒していました。果たしてその木馬の中にはギリシャの伏兵が潜伏していたのです。

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ラオコーンの横槍はギリシャの味方をしていたアテネ神とポセイドン神を怒らせ、二匹の怪物ウミヘビがつかわされました。

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ウミヘビどもに苦悶の中、絞め殺されるラオコーン父子の像です。

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ベルヴェデーレのアポロン

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このアポロンもちょっと中性的で美しい。

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元々は右手に矢を、左手に弓を持っていたそうですね。

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アテネのアゴラにあったブロンズ像の、ローマンコピーという説が通説です。

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Venus Felix

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恥じらいのヴィーナス像の傑作です。ガイドブックではこのヴィーナスは他の部屋にあると書いてあったんですが、八角形の中庭にありました。

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ベルヴェデーレのヘルメス

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1540年ごろ、ハドリアヌス霊廟(今のサンタンジェロ城庭園付近)で発掘されました。ハドリアヌス帝ということで、当初は皇帝の男娼アンティノウス像と思われていたそうです。

 

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ここはミューズの間です。

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トンマーズ・コンカ作の天井画です。

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ミューズの間のあるじは「ベルヴェデーレのトルソ」です。紀元前1世紀の作品です。

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この像はローマのナヴォーナ広場の南に位置する「カンポ・ディ・フィオーリ広場」で発見されたものだそうです。

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時はルネッサンス盛期。ローマ教皇ユリウス二世の時代。

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このよじれた肉体描写もミケランジェロに影響を与えています。システイーナ礼拝堂のフレスコ画を描くときに参考にしたそうです。

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ミケランジェロはユリウス二世に欠けた部分を修復するよう依頼されましたが、「このままが美しい」と断ったそうです。

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ここは円形の間です。シモネッティにより1780年に設計されました。

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中央には大きな水盤があります。4メートルを越える一枚岩で造られた水盤です。

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天井はまさにパンテオン風ですね。

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地面はギリシャ風モザイクです。

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ブラスキのアンティノウス

ハドリアヌス帝の愛人(男)で知られるアンティノウスの像です。頭部に松ぼっくり型の冠をしています。

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↓これもアンティノウスっぽいですね。

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ブロンズのヘラクレスの像

紀元前3世紀のものと言われます。古代劇場跡の地下から発掘されたそうな。

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棍棒と手に持ったライオンの皮で、ヘラクレスと判別できますね。この部屋の唯一のブロンズ像です。

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次にギリシャ十字の間を見ていきます。

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3世紀のアテナ神のモザイク画が見事。

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「トゥスクルム」の遺跡で発見されたものだそうです。

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この部屋では4世紀に造られた2つの石棺が目立ちます。これらは、ローマ帝国で初めてキリスト教を認めたコンスタンティヌス帝の家族の石棺です。下の写真は「聖ヘレナの石棺」で、皇帝の母のためのもの。皇帝の母・ヘレナは熱心なクリスチャンでした。石棺には騎士と蛮族の戦いが刻まれています。

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触んじゃねえ笑 ポルフィド大理石という硬い素材で造られ、貴人向けに使われることが古来多いものだとか。

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これでピオ・クレメンティーノ美術館の鑑賞は終わりです。次に2階に上がっていきます。

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ここから2階のルートはシスティーナ礼拝堂にたどり着くために、必ず通るルートなので渋滞が必至のルートとなります。

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燭台のギャラリー

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ここからは部屋というより廊下ですね。両サイドをギリシャ彫刻のローマンコピーが飾ります。

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たくさんの乳房を持つ豊穣の神ディアナの像です。

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19世紀に描かれた天井画も見事です。

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元々は天井も壁もない柱廊だったそうです。

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タペストリーのギャラリー

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両側を19枚のタペストリーが飾ります。それにしても人がすごい。システィーナへの通路だからしょうがないんですけど。

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とても落ち着いてじっくり見れるような感じじゃないですね。

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金曜に夜間開館もするらしいので、次来る時はそれを狙ってみようかな。旅行は一度目は下見みたいなものですよね。

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フランドルの見事な技術で、キリストの生涯が綴られます。

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タペストリーは冬場は防寒機能も果たしました。

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タペストリーの間を過ぎると、地図のギャラリーです。

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地図のギャラリー

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天井装飾が見事ですね。誰も圧倒される一番の見どころかも。16世紀に教皇グレゴリウス13世の命でつくられました。

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40点ものフレスコ画の地図が長さ120メートルの回廊の両側に展示されます。

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回廊の左右には、16世紀につくられたイタリアの地図が展示されています。

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地図の位置も、北から南へと現実世界に合わせて設置されてます。

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これがローマの地図です。

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ローマの天井画です。各地に起こった奇跡を天井画にしています。

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イタリア半島全土です。

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ここが出口の装飾です。
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「地図の間」から「ピウス五世の居室」、「ソビエスキ王の間」を抜けると、「無原罪のお宿りの間」にたどり着きます。

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無原罪のお宿りの間

1858年、教皇ピオ九世によってつくられました。19世紀のイタリア画家フランチェスコ・ポデスティに描かせたフレスコ画です。

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天井画も見事なり。

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あっさり通過して、いよいよラファエロの間です。

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ラファエロの間

第2室「ヘリオドロスの間」に来てみました。ここは教皇の居室として使われたそうです。1512年から1514年のラファエロ生存期間中に制作されました。

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宮殿から追放されるヘリオドロス」一番右で倒れてる男がエルサレム神殿に忍び込んだ曲者のヘリオドロスで、神が遣わした騎士たちに成敗されそうになる場面です。

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一番左の赤い服を着た爺さん。よく見ると教皇ユリウス二世ですね。

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大教皇レオとアッティラの会談」フン族の王・アッティラのローマ侵攻を、教皇レオ一世が食い止める場面です。馬上のレオ一世のモデルは、ユリウス二世の後を引き継いでこの作品を完成させたレオ十世(メディチ家の教皇)です。

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ボルセンナの奇跡」ボヘミア司教が「聖体変化」を目の当たりにして驚く場面が描かれます。「聖体変化」とは、ミサの時にパンとぶどう酒がイエス・キリストの体(聖体・聖体血)に変化する奇跡のことです。

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聖ペテロの解放」ヘロド王によって囚われた聖ペテロが右端の神の使徒によって救われる場面です。

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ペテロは神々しい光を放っていますね。

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第3室「署名の間」は、ラファエロの間の中で最初に完成し、そして最も有名な部屋です。ユリウス二世が図書館兼書斎として使用していた部屋です。20代のラファエロは1509年から1511年にかけて、この部屋の多くを一人で手掛けました。

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ラファエロ「聖体の論議」

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中央が神の子・イエス。その上に神。両側を聖母マリアと洗礼者ヨハネが囲みます。イエスの下には聖霊としてハトと四つの福音書が描かれています。絵画の下部は下界の様子。聖職者たちが聖体について議論を戦わせています。

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ラファエロ「アテネの学堂」

背景の建物は当時、建築中のサン・ピエトロ大聖堂であるという説が有力です。

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ラファエロの最高傑作と言われます。ラファエロの作品中で最も有名な作品です。

中央にいる二人は、プラトン(左)とアリストテレス(右)です。プラトンはレオナルド・ダ・ヴィンチがモデル。

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肘をついて憂鬱な哲学者ヘラクレイトス。ミケランジェロがモデルです。

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端っこで、黒いベレー帽でカメラ目線の人がラファエロ自身です。

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古代ギリシャ・ローマ時代の偉大な哲学者や科学者たちが、一堂に会する場面を描いた作品です。

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天井画はラファエロの弟子たちが手がけたもの。

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ラファエロ「パルナッソス」

9人の女神に囲まれたアポロンが楽器を奏でています。愛がテーマの作品らしい。

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ラファエロ「枢要徳と対神徳」

人間の徳を擬人化して表しています。

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第4室「ボルゴ火災の間」です。メディチ家出身のレオ十世の時代につくられました。ここは夕食をとる部屋だったとか。この部屋の作品は多忙なラファエロは下絵だけで、弟子たち(ジュリオ・ロマーノら)が中心に描いています。

下の絵は部屋の名前の由来となった「ボルゴの火災」です。847年のレオ四世の時代にバチカン周辺で起こった火災の場面が描かれています。

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カール大帝(シャルルマーニュ)の戴冠」紀元後800年にサン・ピエトロ大聖堂で行われたカール大帝の戴冠式。カール大帝の顔はフランソワ一世、レオ三世の顔はレオ十世の顔で描かれています。

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天井画はラファエロの師匠・ペルジーノが描いたものです。

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ラファエロの間の見学の後は、階段を降りるとボルジア家の間にたどり着きます。

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ボルジア家の間

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ここはラファエロの間の下にあります。

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ルネッサンス期の堕落した教皇の中でも、とりわけ悪評が高いアレクサンデル六世によって造られました。

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アレクサンデル六世はスペイン出身。強欲さと好色さで知られました。

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縁故優遇も目立つ人物でした。彼の息子が有名なチェーザレ・ボルジアです。

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チェーザレはアレクサンデルの庇護のもと十代で枢機卿となり、還俗後は軍人として北イタリアを征しました。

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チェーザレは織田信長にも似た冷徹な統治者でした。マキャベリは名著「君主論」で、チェーザレを理想の君主像としてたたえました。

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豪奢な装飾はピントゥリッキオの手によるものです。

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ローマ歴史巡り②【水道橋、ヴィッラ・アドリアーナ、教会巡り】

イタリア・ローマの旅行記です。

 

クラウディア水道遺跡

水道遺跡にやってきました。

ローマの水道橋の歴史は古く、紀元前4世紀から造られていたそうです。

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この水道橋はクラウデイア水道橋といい、紀元38年に皇帝カリギュラによって建設が命じられ、14年かかって皇帝クラウディウスが完成させたそうです。6本の水道が左から右へ流れます。

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恋をしていたのは去年の夏の頃さ

いつまでもこの胸に 

ohクラウディア、覚えてる

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途切れ途切れにしか残ってませんが、全長69キロあったそうです。ローマ人のインフラ構築能力、恐るべしです。

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右にはローマ、パラティーノの丘へと流れていきます。

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土管みたいなのは16世紀頃のものらしいですね。

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その上に古代の水道が流れます。

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動力を一切使わず、高低差だけで水を運んでいたんですね。ブラタモリでやってました。

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この辺はほとんど野原ですね。公園とは名ばかりで、人影も少ない。夜遅くなったら怖そうですので、行くなら昼間が良さそうです。

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さてお昼ご飯です。

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キノコのリゾット。ちょっと固目のお米です。味はしょっぱい!

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イタリアも稲作するんですよね。そういえば昔「にがい米」(1949)というイタリア映画がありました。圧倒的に豊満なシルヴァーナ・マンガーノは「原爆女優」の異名をとりました。

チキンのカジャトーラです。これも味が濃かった。パンと一緒に食べることを想定しているから味が濃い。

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スイーツで締めです。

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ヴィッラ・アドリアーナ

さて次はローマ市街から約30キロも移動して、ティヴォリというところに行きました。ここは古代ローマの時代から保養地として知られる場所です。

世界遺産ヴィッラ・アドリアーナにやってきました。

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ここはローマ帝国の五賢帝の一人・ハドリアヌス帝の別荘として、紀元130年に完成しました。21年もの歳月をかけて建造した、いわば「小都市」と言えます。

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ハドリアヌスは帝国領土を巡察した時に、各地で美しい建物や風景を見て心を打たれました。そしてそれらを再現しようと、この別荘を造ったのです。

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この辺は山の斜面にへばりつくように建物がありますね

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これが模型によるヴィッラ・アドリアーナの全体像です。

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さあ、見学していきます。

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樹木が円柱型に整えられています。

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ポイキレです。変な名前だけどギリシャ語で「彩色回廊」という意味です。

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f:id:mejirorock:20211207225334j:plain池の周りには屋根付きの彩色回廊があったらしい。模型でみるとよくわかる。

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皇帝への来客が通る道です。

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これはローマ時代の道路が、そのまんまの状態で残ってます。

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アッピア街道はデコボコになってましたが、ここは綺麗に平坦状態で残ってるんです。

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大浴場です。

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漫画の「テルマエ・ロマエ」はハドリアヌス帝の時代のローマが舞台で、この別荘も描かれています。

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ハドリアヌス帝は、紀元76年生まれ。ローマ帝国の最大版図を成し遂げたトラヤヌス帝の右腕として頭角を現し、紀元117年に即位します。

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ハドリアヌスは領土拡張路線から現実路線へと転換。東方属州を放棄し、国境の安定化を図りました。

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またブリタニア(大ブリテン島)に「ハドリアヌスの長城」を建造させ、国境防衛を固めました。この長城は後にスコットランドとイングランドの境目となりました。

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ローマ市内に今日も残るパンテオン神殿を再建したり、法制度も整備したり業績は数知れず。

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その一方で、元老院の政敵四人をまとめて暗殺したり、ユダヤ人の反乱に苛烈な弾圧を加えたりするなど、冷酷な面もありました。

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それにしても大浴場の屋根が落ちずに持ってるのがすごいね。

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カノプスです。

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ここはナイル川をイメージしてつくった美しい池です。

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ハドリアヌス帝が帝国内の長期巡察で得たイメージが、この池にいかされています。

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ナイル川に執着したわけは、エジプト巡察中に事故死した愛人のアンティノウスの記憶があったためと思われます。

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愛人と言っても男性。死亡した当時まだ10代の美青年です。

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アンティノウス像(ルーヴル美術館で撮影)

この美しい青年の死を皇帝は嘆き悲しみ、神格化して各地に像や神殿を建造させます。

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ナイル川沿いにはアンティノオポリスという街を作ったほどでした。アンティノウスはキリスト教公認以前の、最後の偉大な信仰対象になったと言われます。

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円柱や彫刻は一部復元されてます。

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細長い池の奥にはエジプト風神殿が見えます。

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ワニくんもいます。アンティノウスはワニに食われた説?もあります。

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ホスピターリアです。その名の通り客人のもてなしに使われたお部屋みたい。

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モザイクが高級な感じですね。

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島のヴィッラ(海の劇場)です。

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円形の建物の周りを池が囲んで、とても美しい。

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サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会

ホテルまで戻ってきたのは夕方5時半くらいで、まだ少し時間があります。で、テルミニ駅周辺の教会巡りをしていこうと思いました。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会にやってきました。17世紀初頭にボルゲーゼ枢機卿の依頼で、カルロ・マデルノによって建てられた教会です。

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ヨーロッパ全土を戦火の渦に巻き込んだ30年戦争の時代の1620年のこと。ボヘミア(チェコ)戦線で、カトリック勢はプロテスタント勢に圧勝しました。

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この「白山の戦い」を記念して奉納されたのがこの教会です。ヴィットリアは「勝利」を意味します。

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まるで爆発するかのように輝くのは中央祭壇です。

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ジョバンニ・ドメニコ・チェッリーニ「堕天使の落下」

クーポラを飾るフレスコ画です。

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ジョバンニ・ドメニコ・チェッリーニ「異教徒に勝利する聖母マリア」

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素晴らしい天井画。マリアの威光に異教徒どもは粉砕されます。

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この教会の見ものは、なんと言ってもコルナロ礼拝堂。バロックの巨人・ベルニーニが設計し、制作した礼拝堂です。中央祭壇の左側にあります。

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ「聖テレザの法悦」

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人気映画「天使と悪魔」に登場したため、観光客も増えているようですね。

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16世紀スペインの実在の聖女テレザが、天使に槍で心臓を突かれている様子。テレザが夢で体験した宗教の恍惚感を、まるで演劇を見るかのように表現したベルニーニ最盛期の作品です。

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上から照らす明かりは照明でなく、自然光らしいです。

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オペラを観るように、恍惚の聖テレザを鑑賞しているのはコルナロ家の人々。ベルニーニのパトロンでもありました。

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ドメニコ・グイディ「聖ヨセフの夢」

聖テレジアの反対側の彫刻です。

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ドメニキーノ「聖母子と聖フランチェスコ」

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サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会

共和国広場の前のサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会にやってきました。

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一見廃墟ですが、3〜4世紀頃の浴場跡地をリサイクルして教会にしたのです。設計はミケランジェロ

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入り口の扉はポーランドの彫刻家のイゴール・ミトライの作品です。

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受胎告知がテーマ。

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反対側の扉はイエスさんですね。

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十字架で罪を背負いながらも力強い肉体。キリストの復活を意味しています。

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入り口側の礼拝堂には、人間の頭部の彫刻が!

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イゴール・ミトライ「洗礼者ヨハネの頭部」

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日暮れ直前の暗い教会も味がある。

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古代文明への敬愛が深いミケランジェロならではの、オリジナル(古代浴場跡)を生かした設計になっています。

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共和国広場

サンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会の前には、共和国広場が広がります。

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別名エセドラ広場といいます。広場の中心の噴水は「ナイアディの噴水」といいます。

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ギリシャ神話の四人の妖精が水を噴き上げます。

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マリオ・ルテッリが1901年に完成させました。

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けっこうすごい勢い。飛び散ってきましたよ。

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「ローマの休日」でアン王女が最初にたどり着いたのはこの広場でした。

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車やバスのロータリーとして使われています。

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少し遅くなってきたので、ホテルへと退散します。 

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ローマ歴史巡り①【カラカラ浴場、聖セバスチアーノ聖堂、アッピア街道】

イタリア・ローマの旅行記です。

 

成田空港

 関東豪雨の中、成田にたどり着きました。 

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たどり着いたらいつも雨降り
そんな事の繰り返し

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フィンランド航空を使ってヘルシンキ経由で、ローマへと向かいます。ヘルシンキまで9時間半の旅です。

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フィンランド航空のアテンドは、ブロンド美魔女が多かった印象です。

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機内食。

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機内では寝れないから暇つぶしが大変。「スターウォーズ」観てました。マーク・ハミル、渋い爺さんになってる。スターウォーズ新編はやれやれなポリコレ映画となっていました。

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いよいよ着陸態勢に。

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ヘルシンキ空港

無事ヘルシンキ空港に到着しました。ただしちょっと遅延で、乗り換えまで1時間しかありません。

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フィンランドはムーミンの国。

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大慌てでローマへの乗り換え便に。

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ローマへは3時間ちょっと。もう日暮れてきました。

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フィウミチーノ空港

ローマに無事到着。

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イタリアといえばエスプレッソ。あまり得意ではないのですが。

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ホテル ザ・ビルディング

ここがローマのお宿。

テルミ二駅近くです。

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ホテルロビー。

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なかなか優雅です。

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なかなかいい部屋。明日から気合い入れて観光していきます。

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カラカラ浴場

まずはカラカラ浴場にやってきました。

ここが入り口です。

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テルメとは公共浴場の意味です。

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その名の通り、格安料金で貴族から庶民まで使用出来ました。

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ローマ人がお風呂好きだというのは知ってたけど、やたら巨大ですね。一度に1600人収容出来たようです。

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紀元216年、ローマ22代皇帝カラカラ帝によって築かれました。カラカラ帝は悪名高き暴君で、圧政をしきました。その報いか、最後は暗殺(部下により刺殺)されています。

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これが想像図みたいです。

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男女混浴だったそうです。江戸と一緒ですね。

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当時の浴場は単なるお風呂でなく、アスレチック施設、図書館、広間なども備える娯楽性の高いレジャー施設であったようです。

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サウナ、マッサージ室なども完備。私なら入り浸ってますね。

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とにかくこの広大な施設に驚かされる。

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225mの長さに185mの幅という規模。

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広いだけでなく、壁一面、絵画や彫刻に埋め尽くされていました。

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美しいモザイク模様です。

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この丸いところに噴水があったんだ。

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2000から3000の浴槽を設置できる広さであったとか。 

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最初は体育室でレスリングで汗を流し、その後、温浴室、熱浴室へと進んでいったとか。冷水プールもありました。

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芸人や賭博師、物売りなども巡回し、あらゆる娯楽が存在していました。

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こういった娯楽を与えることで、市民の支持を維持する必要があったんですね。

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しかし時代が下がるごとに、ローマの公共浴場は売春などの巣窟となり退廃化していきました。6世紀ごろに、公共浴場としての使命を終えたようです。

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現在では夏には野外オペラの会場として使われているそうです。

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ヤマザキマリさんの漫画「テルマエ・ロマエ」で取り上げられて注目を浴びましたね。

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ここがショップです。買いもせず写真だけ撮る奴に、冷たい視線の店員さんw

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サン・セバスチアーノ門

ここはアッピア旧街道の起点のサン・セバスチアーノ門です。

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3世紀後半に建築され、現在のものは5世紀の再建です。

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3世紀、ローマ帝国は頻繁な異民族の侵入に晒されていました。

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そこでアウレリアヌス帝の命によって、271年から275年にかけてローマ防衛のための都市城壁が築かれました。

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サン・セバスチアーノ門は別名アッピア門とも呼ばれました。

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この城壁もネットで囲われてなくて、触れるところがあるんですね。

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ローマは観光資源があまりにも多すぎて、遺跡ひとつひとつの管理はおざなりになってるようです。

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アッピア街道の第一マイルストーンです。日本風にいうと一里塚です。

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ここから旧アッピア街道を進んでいきます。

サン・セバスチアーノ聖堂

ここはサン・セバスチアーノ聖堂です。元は使徒ペテロとパウロに捧げられた聖堂です。後に聖セバスチアーノがここに葬られ、現在の名で呼ばれるようになりました。

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意外に小さい聖堂ですが、ローマ七大聖堂に数えられるとか。

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聖セバスチアーノは、3世紀のキリスト教迫害の際に殉教した聖人です。ディオクレティアヌス帝の時代でした。

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布一枚で矢に貫かれ瀕死の姿で殉教しています。矢に貫かれた体の黒点から、後にペスト(黒死病)の守護聖人としても信仰されるようになりました。

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のちに聖セバスチアーノは、ベルニーニっぽい官能的で魅力的な肢体で描かれるようにもなります。ここにある彫刻もベルニーニの弟子がつくったみたいです。

ジュゼッペ・ジョルジェッティ「聖セバスチアーノ」

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こういう姿に三島由紀夫も魅せられたんですかね。「仮面の告白」で聖セバスチアーノの絵画に発情する場面が描かれました。セバスチアーノは三島だけでなく、オスカー・ワイルドやテネシー・ウイリアムズら多くの同性愛作家から好んで取り上げられています。

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この教会は、17世紀の初めにシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の命令で再建されました。これがシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿の礼拝堂。バロック時代のローマのカリスマ貴族で、ベルニーニの初期のパトロンとして知られます。

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ベルニーニの晩年の作と言われる「イエスの胸像」です。

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地下にはサン・セバスチアーノのカタコンベがあります。カタコンベとは、ローマ帝国に迫害されていた時代の聖人たちのお墓です。

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撮影は禁止されています。アップダウンのある地下道が張り巡らされた巡礼地でした。

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アッピア旧街道

聖セバスチアーノから少し歩いて、アッピア旧街道の敷石を見に行きたいと思います。

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アッピア街道は 紀元前3世紀に築かれた、現存最古のローマ街道で「女王の道」の異名をとります。

 

マクセンティウス帝の競技場

途中にもなかなかの遺跡があります。

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ローマ皇帝マクセンティウスが、紀元306年につくらせた競技場です。

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ただしマクセンティウス帝は落成後間も無く死去したこともあって、実際には使われることはなかったそうです。

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もう少し歩くとチェチーラ・メテッラの墓があります。

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紀元前1世紀のものです。

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メテッラとは、第1回三頭政治を行ったクラッススの妻だそうです。

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こんな立派な墓におさめられるということは、存命当時の権勢ぶりがうかがえます。

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さあ、着いた。アッピア街道のローマ時代のままの敷石です。

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敷石は(ポンペイ遺跡で有名な)ベスビオ火山の火山石が使われているそうです。

行こう行こう火の山へ フニクリ、フニクラ、フニクリ、フニクラ〜

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経年劣化によってかなりデコボコしていて、かなり足場は悪い印象。足が痛くなりそうです。

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「すべての道はローマに通ず」と格言通り、ローマ帝国は欧州中に幹線道路を張り巡らせました。

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しかも可能な限り直線にし、道幅も広く平坦な道路を作りました。塩野七生氏はこれらローマの街道を「高速道路」と表現しています。

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フィレンツェ芸術巡り④【洗礼堂、ジョットの鐘楼、ドゥオーモ】

フィレンツェの中心地区であるドゥオーモ周辺を観光していきます。

 

 

 

サン・ジョバンニ洗礼堂

フィレンツェで最も古い聖堂建築(ロマネスク様式)と言われています。(11世紀から建築が始まり、12世紀半ばに完成。100年かかっている)

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白と緑の大理石で覆われ、実に厳正で合理的なプロポーションです。あのダンテが「わが麗しのサン・ジョバンニ」とたたえた美観を誇ります。

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外部が3層からつくられてるんですね。第1層は円柱と付け柱。第2層は半円アーチで3分割。

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第3層は3つの正方形の中にそれぞれ3つの長方形。屋根は八角形でつくられています。

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白と濃緑の二色の大理石によって、幾何学的な化粧貼りがなされています。

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ドゥオーモ方面の東扉は、彫刻家ギベルティによるもの。後にこの扉はミケランジェロにより「天国の扉」と名付けられることになります。

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ママ、このバッジを外しておくれ

もう使うことはないんだ

暗くなってきたよ もう何も見えない

天国への扉を叩いてる気分さ

(ボブ・ディラン「天国への扉」)

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人が少ない早めの時間帯だと、誰にも邪魔されず撮影できます。

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旧約聖書からの場面が描かれますが、現在の扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属美術館で見ることができます。

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ちなみにこのレプリカは日本人の寄付によってつくられたそうですね。

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洗礼堂の扉については、北扉作成の際にギベルティ対ブルネレスキのコンクールが行われ、ギベルティが勝利したという出来事がありました。この二人は生涯のライバルとなります。

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最も美しいとされる「アダムとエヴァの物語」のアダムの肋骨からエヴァが作られる場面。

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■ロレンツォ・ギベルティ
(Lorenzo Ghiberti、1381年頃 〜1455年)は初期ルネサンスの彫刻家、金細工師。鋳造技術においては並ぶ者のない腕前を示し、その技量は今日においても賞賛されている。フィレンツェ随一の芸術家であり、彼の工房はドナテッロやウッチェロ、バルトロメオら優れた芸術家を輩出した。ライバルのブルネレスキとの、「洗礼堂門扉コンペ」「ドゥオーモのクーポラ造営」における名勝負数え歌は語り草になっている。

 

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扉の上の彫刻は「イエスの洗礼」(A・サンソヴィーノ、16世紀初頭)です。

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内部はやはり厳粛な雰囲気です。

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床は一面モザイク模様で覆われています。

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天井のクーポラは、金地のビザンチン風モザイク画で覆われています。

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13世紀のモザイク画「最後の審判」です。

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一部修復中でした。

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これは多分ドナテッロとミケロッツォによる「法王ヨハネ23世の墓」だと思います。

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この日は確か「世界女性デー」とかで、女性だけのデモ行進が見られました。

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デモというと、日本の場合は大抵左翼による動員だと思ってしまいがちだけど、こっちのデモは普段着で自然発生的な印象があります。

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ジョットの鐘楼

続いてジョットの鐘楼を上っていきたいと思います。

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高さ85メートル!階段で463段あります。果たしてこれを上りきれるか!

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ジョットの鐘楼は1334年(日本では建武の新政の年)に、画家ジョットが初期設計、工事は彫刻家のアンドレア・ピサーノによって建設が始められ、1359年にはほぼ完成しました。

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実はジョットの仕事は下層部の設計だけで、たいして関わってないそうです。でもジョットといえば西洋絵画史におけるビッグネームですから、自然と名前が残ったんでしょうね。

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この1辺も15メートルあるそうですね。

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レリーフなどの装飾もアンドレア・ピサーノの工房によって制作されました。

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三色の大理石によって造られた華やかなデザインの、ゴシック式タワーです。

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大理石は白がカッラーラ産、緑がプラート産、ピンクがシエナ産です。彩色でなく、元々の石の色なんですね。

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さあ、いよいよ入場していきます。

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ひたすら狭い階段を上っていきます。

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五層からなっていて、時折休憩して展望することができます。

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ドゥオーモのクーポラ見えました!

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サン・ジョバンニ洗礼堂を見下ろせます!

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ローマが舞台の映画「甘い生活」で、アニタ・エグバーグがマストロヤンニに「ジョットの鐘楼はどこ?」と尋ねる場面がありましたね。

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ヴェッキオ宮殿も見えますよ。

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さあ、まだまだ先は長い。

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ドゥオーモ、また見えました。ドゥオーモのクーポラも今回は上りませんでした。ジョットの鐘楼に上った方が、ドゥオーモが見れるからいいかなと。

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美しい街並みですねえ。

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さらに上へ。

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鐘楼だけに鐘も発見!これはかつて使われていたものだそうですね。今も12ほどの鐘が時を告げるために鳴り続けています。

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だいぶ近くに見えるようになった。サイゼリアで見た場面。

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クーポラに上ってる人たちが見えますね。

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この統一感ある景観は見事ですね。この朱色の瓦はヴァーミリオンの瓦と言います。まさにフィレンツェの象徴の色ですね。

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f:id:mejirorock:20211130231520j:plainまたさらに上へ。

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ドゥオーモのクーポラの建設は困難を極めました。これを設計したのはブルネレスキ。「サンジョバンニ洗礼堂門扉のコンクール」でギベルティに敗れたのち、ブルネレスキはローマで10年以上も修行しました。古代建築を研究し、忘れ去られていた建築技術を再発見しました。

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そして1418年に再びギベルティと、「クーポラ設計コンクール」で対決します。雪辱を誓ったブルネレスキでしたが、結局ギベルティと共同責任者として工事に入りました。

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しかし実際に工事が始まってみると、合理的で緻密なブルネレスキの独壇場でした。ブルネレスキはレンガ1枚1枚までチェックしたと言います。ギベルティは役に立たずクビにされてしまいました。

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最上部まで来ました。

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この丸屋根(クーポラ)の上のランタンと言われる部分も、ブルネレスキの設計です。(もっとも完成前に死去してしまいましたが)ブルネレスキこそドゥオーモの父と言えます。

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管理の兄ちゃんも暇そうです。ぼお〜っとしてりゃ給料もらえるんだから、働いてるふりくらいしろや笑

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さあ、後は降りていきます。

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この狭さですからね。すれ違う時は大変です。お互い譲り合わないとダメですね。

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ようやく下界に降りてきました。ショップは様々なものがありました。

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ドゥオーモの傘w いいね、そのアイディア。

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ドゥオーモ(サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)

さあ、次はドゥオーモこと「サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂」(花の聖母大聖堂)に入場していきます。まさに花の都・フィレンツェの象徴ともいうべき大聖堂です。

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ファサード(正面部分)を仰ぎます。このファサードが完成したのは19世紀だそうです。

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もともとドゥオーモは1296年にA.ディ・カンピオにより建設が始められ、1436年にブルネレスキによってクーポラが架けられました。そこから考えると、ファサード完成までに500年もかかっていることになります。サグラダ・ファミリアといい、西洋人の粘り強さはすごいですね。

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白と緑とピンクの大理石で装飾された見事な建築です。この3色もジョットの鐘楼と同じで、塗り分けたわけではありません。それぞれ白と緑とピンクの天然大理石を採掘してきたのですね。

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扉には聖母マリアの生涯が描かれているそうです。

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かなりの行列ができてます。ちなみに大聖堂に入るのは無料です。ただし宗教施設ですからドレスコードがありますね。露出の多い服の場合、入場を断られる場合があるので、夏場は注意です。

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この行列に並んでる時は、ビル風が吹き付けて辛かったです。

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いよいよ入場。

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さすが広大な空間です。収容人員3万人とも言われ、ローマやミラノと並ぶ大聖堂です。

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パウロ・ウッチェッロ「時計の文字盤」

入り口の上にはウッチェッロ作の時計の文字盤があります。

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並んだ騎馬画像が見えますね。

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パウロ・ウッチェッロ「傭兵隊長ジョン・ホークウッド」

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白い方はウッチェッロの「ジョン・ホークウッドの騎馬像」です。ウッチェッロという人は「遠近法」の研究にとりつかれた人で、現実の視点よりもいかに美しく見えるかを表現しようとしました。上の絵も騎馬を見る視点と、台座を見上げる視点が同時に設定されてますね。

 

アンドレア・デル・カスターニョ「傭兵隊長ニッコロ・ダ・トレンティーノ」

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もう一つの騎馬像は、ウッチェロを参照して描かれたカスターニョの「ニッコロ・ダ・トレンティーノの騎馬像」です。

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D・ミケリーノ「『神曲』を持つダンテの肖像」

ダンテはフィレンツェが誇る大詩人です。また「神曲」はラテン語でなくトスカーナ方言で書かれたことによって、現代イタリア語の基礎となったと言われます。

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見上げるとクーポラ。内側にも見事な(正直よく見えないけど)フレスコ画が描かれます。高さは90メートル以上ありますからねえ。

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ヴァザーリらが描いた「最後の審判」ですね。

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主祭壇です。八角形の内陣になってますね。八って数字は、日本でも末広がりでいい意味だけど、キリスト教にとっても縁起のいい数字なんですってね。なんでも「7」が一つの周期らしい。まあそれは1週間が7日ということでわかる。8はそこに1をプラスしたことから「復活、再生」の意味があるらしいですね。

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B・ダ・マイアーノ「主祭壇・十字架像」

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サンタ・レパラータ教会遺構

この聖堂は地下にも見所があります。

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現在のドゥオーモ、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂が出来る以前に、フィレンツェの大聖堂だったサンタ・レパラータ教会の遺構が残っています。

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5世紀頃のもので、ローマ時代のモザイク装飾を見ることができます。

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サンタ・レパラータ教会の祭壇です。

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地下にはクーポラ建設の立役者・ブルネレスキのお墓がひっそりとあります。

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ブルネレスキのお墓は、ショップの一角からちらっと見える感じだったな。

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フィリッポ・ブルネレスキ
(Filippo Brunelleschi, 1377〜1446)は、イタリアの金細工師、彫刻家、そしてルネサンス最大の建築家である。彫刻家としては宿敵ロレンツォ・ギベルティに遅れをとったが、サンタ・マリーア・デル・フィオーレ大聖堂のクーポラ建設によって絶大なる賞賛を得た。 遠近法の発明やオーダーの発見も、彼のものとされる。

 

ここがショップです。やっぱり赤いドーム(ドゥオーモ)がフィレンツェの象徴だけに、グッズも充実してるねえ。

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ドゥオーモの外では、何やらデモ部隊がいます。手前には警察の人たちかな。

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ちょうど国際女性デーだったようで、女性がいっぱい集まっています。

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それで軍隊がいるのかな、と思いましたが、これはいつも常駐してるみたいですね。テロ対策ということか。

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世界の首都で「軍人の姿を全く見かけない都市」は東京ぐらいなもんか。またも「日本の常識は世界の非常識」という言葉を思い知りました。

 

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フィレンツェ芸術巡り⑦【バルジェロ美術館】

イタリア・フィレンツェの旅行記です。

 

バルジェロ美術館 

バルジェロ美術館の見学に急ぎます。なぜ急ぐかというと、この美術館の閉館時間は早く午後2時まで。(ただし閉館準備で追い出しにかかりますから1時45分くらいまでしか鑑賞はできないでしょう)もう見えてきました。右側の塔がバルジェロです。

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14世紀に建てられた宮殿で、かつては警察署や監獄としても使われていました。

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現在は彫刻や陶器、鎧、古銭などを展示しています。ドナテッロやミケランジェロの名作などもいっぱいありますので、是非来たかった場所の一つなのです。

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けっこう並んでますね!バルジェロは普段はいつも空いてるはずなんですが、イタリア文化週間で無料だからみんな見に来たのかな?

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中庭です。監獄時代は、この中庭で死刑囚の処刑が行われたそうです!

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中庭を囲んでロッジアにいっぱいありますね。

 

バルトロメオ・アンマナーティ「大広間のフォンターナ」

1556年〜1561年の作品です。

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アンマナーティはバンディネッリの弟子で、シニョーリア広場のネプチューン像を引き継いだ彫刻家です。

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これ乳首から噴水が出るというものですよね。

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↓これもアンマナーティなんですかね?隣にあったんでとりあえず撮影してみました。

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バルトロメオ・アンマナーティ「ジュノーと2匹のクジャク」

1556年〜1561年の作品です。

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フランチェスコ・カミッリアーニ「川の神たち」

1560年頃の作品です。

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ドメニコ・ポッジーニ「Legge Nuova」

1579年の作品です。服が透けた表現はすごい。

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ヴィンチェンツォ・ダンティ「コジモ・ディ・メディチ」
これがコジモ?老コジモじゃない別の人かな。

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ジャンボローニャ「オーケアノス」

1572年〜1576年の作品です。

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ジャンボローニャって名前からボローニャ出身のイタリア人かと思いますけど、フランドル出身なんですね。代表作のネプチューンの噴水がボローニャにあるから、またややこしい。

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1553年にフィレンツェ にやってきて、トスカーナ大公家の宮廷彫刻家になってから全盛期を迎えました。マニエリスム彫刻の第一人者です。

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ジャンボローニャ、ピエトロ・フランカヴィッラ「ピサに対するフィレンツェの勝利」

1575年〜1580年の作品です。

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ヴェッキオ宮殿の五百人広間にあったものの本物です。

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ピエトロはジャンボローニャの弟子です。共作なんですね。

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この人体の絡み合いのダイナミズムが、マニエリスム彫刻の第一人者たる所以です。

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ジャンボローニャ「バッカス」

1560年代の作品です。

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ジャンボローニャ「飛ぶメルクリオ」

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ルーヴルにもありましたね。

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ヴィンチェンツォ・ダンティ「虚偽に対する名誉の勝利」

1561年の作品です。

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若者がおっさんを制圧する、みたいに「正義の勝利」を象徴する作品が多いですね。当時の流行だったのでしょうか。

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ヴィンチェンツォ・デ・ロッシ「死にゆくアドニス」

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16世紀中ごろの作品のようです。ロッシは「ラオコーン」の模刻を作ってますね、来日した時に見ました。

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ミケランジェロ・ブオナローティ「バッカス」

1496年〜1497年頃の作品です。いよいよ真打ち登場です。まさしく酩酊の神ですね。ちょっと千鳥足かな。

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ミケランジェロ20歳そこそこの作品です。やっぱり若い頃はギリシャ・ローマ彫刻を凌駕する!っていう野心を感じさせますよね。それを実現したのがダヴィデなのです。

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ミケランジェロは幼少期からフィレンツェで過ごし、13歳でドメニコ・ギルランダイオに弟子入りします。

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すぐに頭角を表したミケランジェロは、ロレンツォ豪華王に認められ、メディチ邸で保護されることになります。

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豪華王の死後はローマに招かれ、この作品や「ピエタ」のような傑作を生み出し、大芸術家の道を歩み始めます。

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ミケランジェロ・ブオナローティ「アポロ=ダヴィデ」

1530年頃の作品です。

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かつて上野の西洋美術館にやってきた作品ですね。こんなに早く再会できるとは。

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惜しいことに未完なんですよね。確かに裏側は荒削りのまま。奴隷シリーズにはこのパターンがありますね。

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1527年にフィレンツェでは共和政復活の気運が高まり、メディチ家はまたも追放されました。ミケランジェロはこの時は共和派に組みして、メディチ家に対して反旗を翻しました。が、神聖ローマ皇帝を味方につけたメディチ派の巻き返しに、共和派は敗北。フィレンツェ公となって復活したメディチ家に、ミケランジェロは恭順の意を示します。 生き残るためメディチに絶対服従しなければならない時期に、制作を命じられたのがこの作品でした。

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ミケランジェロ・ブオナローティ「ブルータス」

1539年の作品です。「ブルータス、お前もか」の人か。カエサルの暗殺者の一人です。

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メディチ初のフィレンツェ公・アレッサンドロが殺害された時に、反メディチ派に依頼されてつくった作品です。

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ミケランジェロ・ブオナローティ「聖母子と聖ジョヴァンニーノ」

1505年頃の作品です。

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バンチョ・バンディネッリ「アダムとイヴ」

1551年の作品です。

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バッチョ・バンディネリ「酔ったノア」

1530年頃の作品です。

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べンヴェヌート・チェッリーニ「ナルキッソス」

1548年〜1565年頃の作品です。

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ルネッサンスを代表する彫金・彫刻家ですが、バイセクシャルで、2度も告発されたことがあるそうです。フィレンツェは男色家が多いことで知られていたようですね。同性愛を当時は「フィレンツェの悪徳」と称したほどでした。

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石の質がザラついてますが、劣化したのでなくもともと石材が悪かったらしいですね。アルノ川底の大理石をひき上げて作ったものです。

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チェッリーニの最良の作品は、イタリアだけでなく海外にも存在します。一時チェッリーニはフランソワ一世に請われて、フランスで活動していたことがありました。ルーヴルにある「フォンテーヌブロー宮殿のニンフの浮き彫り」や、ウィーン美術史美術館にある「黄金の塩入れ」などはフランス時代に制作されています。

 

べンヴェヌート・チェッリーニ「ペルセウスの台座」

1553年頃の作品です。シニョーリア広場のロッジアにあるのはレプリカで、こちらが本物ですね。

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この「ダナエと息子ペルセウス」はミケランジェロ「瀕死の奴隷」(ルーヴル美術館所蔵)の艶めかしいポーズの影響を受けているそうです。チェッリーニはミケランジェロを終生、信奉し続けました。

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メリクリウス」です。

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ミネルヴァ」です。

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ユピテル」です。

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べンヴェヌート・チェッリーニ「Apollo and Hyacinthus」

1548年の作品です。

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アポロは過失によって死なせた美少年ヒュアキントスを惜しんで、彼を花として生まれ変わらせます。その花がヒヤシンス。

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べンヴェヌート・チェッリーニ「ガニュメデス」

1548年〜1550年頃の作品です。ベースは古代ローマ彫刻のトルソーで、その不足部分をチェッリーニが加えたものです。ガニュメデスの頭部、両腕、両足、ワシの頭部、胴体、台座がチェッリーニ の手によるもの・・ってほとんど全部やん?

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イル・トリボーロ「フィエゾレの寓意」

1545年頃の作品です。

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バルトロメオ・アンマナーティ「レダと白鳥」

1536年ごろの作品です。

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白鳥に変身したゼウスがレダを夜這う、西洋美術の人気テーマです。

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上階に向かいます。

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2階にもロッジャがありますね。

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ジャンボローニャ「建築」

1570年代の作品です。

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タイトルの意味がよくわかりませんね。

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この長い脚がジャンボローニャの彫刻の魅力です。

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フィレンツェの彫刻家「バッカス」

16世紀後半の作品です。

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ピエトロ・フランカヴィッラ「イアソン」

1589年の作品です。

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わかりにくいですが、手に持っているのは羊の毛です。

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ギリシャ神話の英雄・イアソンは魔物と闘って、金羊毛皮を手に入れる冒険譚が知られています。

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人が群がっているところがありますね。

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ドナテッロ「ダヴィデ」

1440年代の作品。これが古代以来初の裸体彫刻像です。そして古代以来初のブロンズ製立像でもあります。

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バルジェロの最大の至宝と呼ばれています。あまりの官能性から、ドナテッロの同性愛的嗜好を疑う説もあります。(証拠はない)

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ミケランジェロに先駆けた全裸のダヴィデですが、ミケの方は政府依頼の公式作品なのに対して、こちらはメディチ(リッカルディ)邸内の中庭に飾られるための私的作品なので官能性を出せたのでしょうか?老コジモはドナテッロとほぼ同年代で、二人はサン・ロレンツォ教会内で並んで埋葬されています。

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ダヴィデの内股に向けて伸びる、ゴリアテの兜の羽根が妖しい雰囲気を醸し出しています。

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ダヴィデの「裸に帽子とブーツ」という装いはかなり倒錯的です。が、これらはいずれも「英雄ダヴィデを貶めた」という批判を予期した上のアリバイ工作だとの説があります。(例えばゴリアテの兜に羽根をつけることで、これはヘルメスだという言い逃れができる)

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とにかく常に人がいるし、閉館の時間は迫るし、ピンボケするし、色々と後悔が残りました。「オレ、次にバルジェロ行ったら朝一で行って、ダヴィデを撮り直すんだ!」と死亡フラグのような決意をしました。

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■ドナテッロ
(Donatello、 1386年頃〜1466年)ルネサンス初期のイタリア人芸術家、金細工師、彫刻家。フィレンツェ共和国出身。写実性が高く、解剖学的にも正確な彫刻作品の傑作を多く残した。ミケランジェロとも比肩して語られる天才芸術家である。

 

ドナテッロ「ダヴィデ」

1408年頃の作品です。バルジェロにあるもう一つのダヴィデ。こちらは着衣で大理石です。

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若き日のドナテッロはブルネレスキとともに、ローマに修行に出ています。そこで二人は古代ギリシャ・ローマの建築や彫刻の技法を手に入れ、ルネッサンスの大輪を開花させていきます。

 

ドナテッロ「聖ゲオルギウス」

1415年〜1417年頃の作品です。

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もとはオルサンミケーレ教会外面に立っていたものが、ここバルジェロに移されました。

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ドナテッロ「少年の洗礼者聖ヨハネ」

1450〜1455年頃の作品です。

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若き苦行僧!この不安げな表情と衰弱ぶりがすごいんですよ。

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ドナテッロ「Amore/ Attis」

1440年代の作品です。

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デジデーリオ・ダ・セッティニャーノ「聖母子」

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これもバルジェロの目玉です。サンジョバンニ洗礼堂扉コンクールの出展作品で、ギベルティとブルネレスキの競作が並んでいます。

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ロレンツォ・ギベルティ「イサクの犠牲」

1401年の作品です。

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フィリッポ・ブルネレスキ「イサクの犠牲」

1401年の作品です。

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皆さんはどちらがお好みですか。ブルネレスキによれば、このコンクールは「両者優勝」となったが、誇り高いブルネレスキはそれを良しとせず自ら辞退したらしいです。この二人はその後もドゥオーモ のクーポラなど、幾多の制作競技で競い合う生涯のライバルとなります。

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16世紀のフィレンツェの芸術家「アルペイオスとアレトューサ」

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河の神・アルペイオスと美しいニンフのアレトューサ。彫刻では仲良さげですが、神話ではアレトューサはアルペイオスから逃げて、アルテミスの力によってオレトゥギア島の「アレトューサの泉」と化したそうです。

 

ここからジョヴァンニ・デッラ・ロッビアの作品です。

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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア「受胎告知」「幼きキリストへの崇拝」

1520年頃の作品です。

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デッラ・ロッビア家は彩色テラコッタの一族として知られます。

 

ジョヴァンニ・デッラ・ロッビアとジョヴァン・フランチェスコ・ルスティーチ「聖アゴスティーノ」「我に触れるな」

1520年代の作品です。

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ルカ・デッラ・ロッビアが創始者として有名ですが、その甥のアンドレア、そしてアンドレアの子のジョバンニも大成しました。

 

ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア工房の「キリストと聖人たち」

1515年〜1520年頃の作品です。

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彩釉テラコッタは粘土像を三度焼成して、ガラス質の釉薬で覆います。

 

ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア「聖ドメニコ」

1505〜1510年頃の作品です。

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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア「死せるキリストへの哀悼」

1514年頃の作品です。

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ジョヴァンニ・デッラ・ロッビア「ご誕生」

1521年頃の作品です。

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サンティ・ブリオーニ「我に触れるな」

1520年代の作品です。

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その他いろいろありました。

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メディチ家のマークですね。

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メドューサ。

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フランス系フランドル画家「平和の寓意」

16世紀後半の作品です。

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来てよかったですね。ウフィツィやアカデミアばかりがフィレンツェ芸術ではない。駆け足になったのは残念。

 

さていい加減お腹も空いたので、食事です。

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なんか巨大なクラブサンドみたいなやつ。量が多くてなかなか食べられない。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅方面までぶらぶら散策。けっこうバイクが多いですね。

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基本、みんな信号は気にしてない風でしたw 渡れる時は赤でも渡る。ヨーロッパはみんなこうですね。もっともドイツあたりはだいぶ真面目かも?(ドイツは行ったことない)

 

駅方面へと向かいます。目標はサンタ・マリア・ノヴェッラ教会です。

その前に教会のそばにあるサンタ・マリア・ノヴェッラ薬局を見に行きました。

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13世紀から続く世界最古の薬局だそうです。綺麗なお姉さんが出てきました。でもここの店員さんではなさそう。近くのホテルの人かな。

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なんか怖かったので笑、とリあえず外観だけで中には入りませんでした。

 

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

教会に到着しました。

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この美しいファサード!サンジョバンニ洗礼堂やドゥオーモのように、白と緑、ピンクの大理石によって装飾されています。幾何学的なデザインがフィレンツェ流なんですね。

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教会の前は広場になっていて、みんなの憩いの場になっています。

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このファサードを設計したのは、初期ルネサンスの万能の天才と言われたアルベルティです。アルベルティは遠近法を数学的に解析し、理論化しました。ダヴィンチもアルベルティを信奉していたそうです。

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入場してみたいと思います。

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これがチケットです。

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ジョヴァンニ・バッティスタ・ナルディーニ「十字架降下」

1572年の作品です。

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イル・メーリオ「聖ヴィンチェンツォ・フェッレールの説教」

1573年〜1574年頃の作品です。

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ヤコポ・リゴッツィ「子供を蘇生させる聖ライモンド」

1620年〜1630年頃の作品です。

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作者は多分フィリッピーノ・リッピ(フィリッポ・リッピの息子)です。

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ジョルジョ・ヴァザーリ「ロザリオの聖母」

1569年頃の作品です。

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中央礼拝堂です。

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フィリッポ・ブルネッレスキ「磔刑像」

1410年〜1415年頃の作品です。

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ブルネレスキは、親友のドナテッロのつくった磔刑像を酷評しました。ボロクソに言われて一時はムカついたドナテッロでしたが、数日後にブルネレスキがこの磔刑像を見せると敗北を認めたそうです。

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アーニョロ・ブロンズィーノ「アルチシナゴーゴの娘を復活させるキリスト」

1570年〜1572年頃の作品です。

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アレッサンドロ・アローリ「聖ジャチントの幻視」

1596年の作品です。

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聖堂内から出ました。

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異教徒でも、教会の荘厳な雰囲気には清らかな気持ちにさせられます。京都の寺社を訪れる外人さんも、同じような気持ちになるのかな。

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教会の裏手はサンタ・マリア・ノヴェッラ駅前です。

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この後は、晩御飯をいただきにフードコートへ行きます。土産物屋台がすごいです。

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フィレンツェ中央市場

ここの2階がフードコートになっています。

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日本語が通じるお寿司屋さんもありますよ。

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サンタ・マリア・ノヴェッラ駅 

サンタ・マリア・ノヴェッラ駅前に戻ってきました。

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イタリアは以前はプラットホームに誰でも出入り自由だったらしいんですが、今はドアつけたんですね。スリどもの「仕事場」になって、観光客が大変だったんでしょう。これで少し安心して鉄道を使えるようになるんじゃないですかね?

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特急っぽい。かっこいいなあ。

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最終観光目標は、ミケランジェロ広場です。フィレンツェ市街を一望できることから、一大観光スポットとなっています。行き方は徒歩・タクシー・バスなどさまざま。今回はバスを利用します。まずサンタ・マリア・ノヴェッラ駅構内でバスのチケットを買います。言語で英語を選択して入れていけば、割と簡単に買えました。

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1.5ユーロで90分乗り放題でした。ただバスは本数が少なく、90分で戻れる保証はないので、往復の意味で3ユーロで2枚あらかじめ買ってしまいます。バス車内で買おうとすると高くなるそうです。

このレシートみたいのがバスのチケット。これをバス車内の刻印機で検印します。(これを忘れると絶対ダメらしい。時々不定期で回ってくるチェック係に無検印というだけで、罰金50ユーロを問答無用で取られます)

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特急列車の券売所かな。かっこいいですね。

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さてミケランジェロ広場行きは、12番のバスになります。広場には直行せず、遠回りするので20分以上かかってしまいます。バス車内ではスリに気をつけましょう。フィレンツェは比較的治安いいから、つい油断してしまいます。

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刻印機あったで。

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ミケランジェロ広場

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広がる絶景!

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サンタ・クローチェ教会ですね。今回は行けなかったけど。ガリレオ、ミケランジェロ、マキャベリなどが眠る聖地です。

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ドゥオーモはやはりフィレンツェの象徴です。

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ヴェッキオ橋です。

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山の斜面にも家があるんですね。長崎みたいだ。

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3体目のダヴィデさんと会えました。足元のはメディチ家礼拝堂の四体ですね。

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さすが観光名所で、人がいっぱいになってきました。

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いい感じに夕暮れてきましたよ。

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帰りもバスを使いました。夜のサンタ・マリア・ノヴェッラ教会もいい感じです。

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